AISの授業その1:考古学(Ancient Civilization)

Information is not knowledge. The only source of knowledge is experience.

Albert Einstein

ウィーンに住んでいた時に通っていたアメリカンインターナショナルスクール(AIS)はとても独創的な教育方針で、1から10まで先生が教えるのではなく、生徒たちに考えさせることを目的とした授業でした。考える楽しさは、ここで知りました。今でも印象に残っている授業をいくつか紹介します。

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考古学

中学生の科目に、なぜか古代文明( Ancient Civilization )というものがありました。日本では歴史で少し紹介する程度ですが、AISでの授業はそれだけに特化した本格的なもので、半年ほどかけて講義と実習をします。もちろん、古代エジプト、ギリシャ、ローマの紹介やロゼッタストーンなどとともに考古学者たちの仕事なども学びます。ヨーロッパには数千年前の遺跡が至る所に存在しているので、ヨーロッパの歴史を語る上で避けて通れない道なのでしょう。遺跡から古代の人々の文化や生活を想像することは楽しいことだと植え付けられます。
考古学者が古代文字を解読したり、土器や住居跡から文化や食生活を想像する過程を映像を交えて紹介してくれました。生徒はみな興味しんしんです。

実習

座学の後の実習がすばらしく、大変印象的で今でも鮮明に覚えています。
クラスを2斑に分け、それぞれ架空の文明を作り上げます。時代設定は自由で、過去でも未来でも構わないという規定でした。数週間かけて、その文明の言語、文化、風習、食事、衣服など、想像できるあらゆることを想定してまとめます。2つの班の文明はお互いに内緒にします。分かってしまうと面白くなくなってしまうので、秘密厳守です。それが分かっていたので、誰も漏らしませんでした。

先生だけは両方の班から逐一別室で報告を受け、適切な指導を行います。あまりに突拍子もない文明や非現実的なものは却下されます。そして、お互いの文明を想像できる生活用品を実際に作ります。それも先生の指導が入り、その情報だけでは相手がたどり着けないと判断されたものは考え直させられます。
少なくとも、その文明の衣・食・住が想像できるヒントが盛り込まれている必要があります。

埋設

最終的にお互いの文明のヒントになる品々を作り、校庭に深い穴を掘って埋めます。

手抜きはなく、かなり本格的に実行します。土器などは、表面に自分たちが想定した文明の言語で言葉や絵を書き込んだ焼き物を実際に作って砕いて埋めたりしました。
主食としている穀物の痕跡を残したり、タンパク質は何から摂取していたのかが分かる痕跡を与えます。衣類なども作ったものを燃やして埋めたりしました。

発掘

班ごとに別の班が埋めたものを発掘する作業に移行します。各班は埋めるときも色々と工夫をします。上から掘っていくと、ブロックで囲われた地下の空間に石が落ちて底に置いてある土器が割れるようにしたり、水性インクで書いて埋めている間ににじんで見えなくなるようにしたり、ヒントの一部はわざと欠損させて分かりにくくしたりします。
各班は考古学者のように、慎重に発掘作業を行います。

それぞれの班は出土品を集めて分析し、これも数週間かけて相手の班が想定した文明を推測します。そして最後は相手の班が想定した文明の発表を行い、その答え合わせをするという壮大な授業です。

これはワクワクする面白い授業でした。とにかく皆いつも相手の文明を考えていました。
キーとなるのはやはり文字や絵です。どうせ中学生が考えることですから、単純な絵文字とアルファベットの置き換えだったり、単語の置き換えレベルのものですが、埋める前は相手に謎解きをさせるヒントを与えること、また発掘後は相手のヒントを解析して文明を想像することが楽しみでした。

この段階で、ほとんどの生徒は将来考古学者になりたい、と思ったのではないでしょうか。

相手の文明の正解を聞き、自分たちの分析結果とのずれを検証したり、どこで間違えたのかなどを議論します。これは大変すばらしい授業でした。想像する力、分析する力、考える力などをこの授業を通じて学びました。少なくとも、50年以上経った今でも鮮明に覚えているくらい、忘れられない経験です。自分はこの授業で大きく変われたと思います。それまで自分が落ちこぼれだったのは、自分が悪いのではなく、教育方針が悪かったのだと悟りました。

「勉強って、覚えることではなく、考えることなんだ」とわかった瞬間です。

理想的な授業

教科書の内容を強制的に詰め込む教育ではなく、こういう授業が本当は最も望ましいと思うのですが、日本の中学で盛り込むのは難しいのでしょうか。
小学校の頃から暗記が大嫌いで、社会に出てからも記憶力が悪い自分を救ってくれたのが冒頭のアインシュタインの言葉です。

情報は知識ではない。知識は経験からのみ得られるものである。

アルバート アインシュタイン

これを見て安心しました。漢字が書けなくても、九九を半分しか覚えてなくても、大阪城を誰が建てたか知らなくても生きて行けます。それらは情報であり、調べればわかるものです。特にインターネット時代になってからは情報が溢れています。情報が氾濫するほど人はものを考えなくなります。
真の教育とは、情報を詰め込むことではなく、考える力を育てることだということが分かりました。アインシュタインが言う知識とは、経験を活かして情報を応用していく力だ、ということなのでしょう。

自分も大学ではそのような授業をしたいものですが、大人の事情でなかなか実現できずにいます。教育は永遠のテーマです。

著者
Yama

大学卒業後しばらくは建築設計に従事。その後人工知能の研究所で知的CADシステムやエキスパートシステムを開発。15年ほどプログラマをしていましたが、管理職になるのが嫌で退職。現在は某大学の非常勤講師(情報学)、動物医療系および野鳥写真家、ウェブプログラマ、出版業などをしながら細々と暮らしています。

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