シェリーのヒバリ(To a Skylark)解析に挑戦

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呪文

ある日のこと、レンズを大空に向けてヒバリを連写していると、横にいた家内が急に「へいるとぅーじー、ぶらいずすぴりっと」と呪文のような言葉を発しました。時折、唐突に変なことを言う人ですが、これもまったく意味不明です。撮影を終えたあと、先ほどの呪文は何だったのか尋ねました。
聞くところによると、なんでも英国のシェリーという詩人の「To a Skylark」という詩の冒頭部分だとのことです。理工系畑で育った自分は文学的教養がまったくなく、残念ながらシェリーという詩人のことも、この作品のことも知りませんでした。ちなみに、家内は英米文学科卒です。

家内が発したこの不思議な呪文がなぜか気になり、当時ヒバリの撮影に入れ込んでいたこともあり、この詩を理解しようと思い立ちました。幸いなことに、小中学校を海外で過ごしたため、英語には不自由していません。そんなに広く読まれている有名な詩なのであれば簡単に読めるだろうと高をくくっていました。
さて、家に帰ってネットで検索すると、確かに星の数ほどヒットしました。自分が無知なだけで、世間ではシェリーさんは超有名な詩人だったのですね。

Hail to thee, blithe Spirit!

呪文はこれでした。しかし、いざ読みはじめると、冒頭一行目から挫折です。まったく理解できません。”Hail to thee “。これは英語なのか。少なくとも私が小学校、中学校と英語圏で過ごした間に使ったことがない言葉です。冒頭の3語の中で、なじみがあるのは「to」だけです。呪文に聞こえたのは正しかったのです。

この世に理解できないものがあるのは悔しいので、ますますこの詩を完全に読解したくなりました。シェリーの詩は世界中で研究しつくされているようで、日本でも人気が高く、沢山の解説や翻訳サイトがあることが分かりました。しかし、どれを読んでもいまいちしっくり来ないのです。
多くは一生懸命日本語に翻訳しようとしていて、まずその試みが失敗なのだと思いました。詩は詩人がその時代のその国の言葉を何週間も何か月もかけて、細心の注意で一語一語選んで作っている作品のはずです。言葉の意味だけでなく、流れ、リズム、抑揚、韻、などの要素を考え抜いて作り上げているものです。
それを他の言語に置き換えるのは基本的に無理があり、ましてや英語と語順からして異なる日本語にこういった要素を継承しながら変換するのは不可能でしょう。小説や論文を他言語に翻訳するのとは全く異なります。詩の意味を理解するために解析するのは自由ですが、他言語に翻訳したものを作品として発表したり公開するのは、個人的にはナンセンスだと思っています。もっと言わせていただくと、詩を翻訳する行為自体が、作者に対して失礼なことだとさえ思っています。作者が考え抜いたであろう韻などは、翻訳した時点で踏みにじっている気になってしまいます。
そのため、詩は書かれた言語そのもので味わうべきものだと昔から信じていました。翻訳してしまったらダイナシなのです。

そんな想いで、ここではシェリーの”To a Skylark”の冒頭部分を翻訳ではなく、自己流で解析してみたいと思います。

作者について

まず、作者について調べてみました。

Percy Bysshe Shelley
1792 – 1822

もう、約200年前に亡くなった英国の詩人だったのですね。2番目の奥さんメアリーがフランケンシュタインの作者だったことも驚きでした。

タイトルについて

この詩を理解しようと思い立ったとき、まずは原文、特にシェリーの投稿時の手書き原稿が見たくて探しました。そして、ハーバード大学のホートン図書館に収蔵されていることを知り、デジタルデータを入手しました。

現在一般的に出回っているこの詩のタイトルは、「To a Skylark」です。驚いたことに、シェリーの手書き原稿では、「To a Sky-Lark」とSkylarkが二語になっているのです。しかも、最初はおそらく「To the Sky-Lark」としていて、「the」を「a」に修正したような形跡が見て取れます。

ヒバリを表す言葉は、本来「Skylark」と一語のはずです。詩人という言葉の達人が主題の単語を間違えるとは考えにくく、あえてSkylarkの語源であろうSky(空)とLark(道化師)を分けて表現したのではないでしょうか。手書き原稿には、SkyとLarkの間にはハイフンのようなものも入っているのが見て取れます。

詩の本文が先にできたのか、題名が先にできたのかわかりませんが、考え抜いた末、「ヒバリ」と言う意味での「Skylark」ではなく、あえて「天空の道化師」とか、「天のいたずら」などというニュアンスを込めて「Sky-Lark」と表現した可能性は十分考えられます。個人的には、単に動物としてのヒバリへの呼びかけではなく、空飛ぶエネルギー体に感動して呼び掛けずにいられなくなり、あえてSky-Larkとしたように思えてなりません。SもLも大文字になっていることからも、強い意志を持って故意に二語で表現していたことが見て取れます。

手書き原稿の「Sky-Lark」がいつの段階で「Skylark」になったのかまでは言及することができませんでした。出版社が訂正したのか、シェリーが校正段階で訂正したのか分かりませんが、1820年にPrometheus Unboundの初版が出版された時点では普通の「Skylark」になっています。手書き原稿のシェリーの意図が何であったのか今となってはわかりませんが、それを考えるのもまた楽しいものです。

この詩はメアリーとのイタリア旅行中に書かれたもののようですが、その時にシェリーは初めてヒバリを見たのか、また一匹のヒバリを見てとっさに書いたのか、旅行中何度もヒバリと出会ってから書いたのかによって「the」がふさわしいか「a」が合っているのかは違ってくるのでしょう。直した経緯から想像すると、生まれて初めて1匹のヒバリと出会って感銘を受け、「the」で書いたものの、神がかり的なヒバリはその特定のヒバリだけではなく、世の中のすべてのヒバリが同様の営みをするので、後に「a」の方がふさわしいと思って修正したのかもしれません。

タイトルだけでも色々と考えさせられます。
では、やっと冒頭にもどって、本文をすこしかじってみましょう。

1行目冒頭のHail

あらためて原文を見ると、冒頭の “Hail ” から、これに該当する日本語はそもそもないのだと気づきました。それをむりやり日本語にしようとするから違和感があるのです。ネットには様々な訳が載っていますが、皆さん、この冒頭から苦労されているようです。「ごきげんよう」、「ようこそ」、「やあ」、「万歳」など様々に訳されていますが、おそらく、”Hail”は”Hail”であり、「ごきげんよう」でもないし、「万歳」でもないと思うのです。

ヒバリを見たことがある人にはわかると思いますが、実際、あの鳥をみると、そのエネルギーに感嘆せざるを得ません。点にしか見えないほど上空でホバリングをしながら、これまた見事な歌声と声量で歌い続ける鳥です。Hailは、人間の想像や能力を遥かに超えたものを見たときの、純粋な歓喜の叫びを表す言葉なのでしょう。

今までは、マクベスに出てくる魔女が発する「ヘイル、マクベス」くらいでしか聞いたことがありませんが、調べると、「ハイル、ヒットラー」のハイルや、「アヴェ、マリア」のアヴェと語源は同じようです。ハイルもアヴェも日本語に訳されてないところを見ると、やはり該当する日本語がないのでしょう。王や神といった、普通の人間とはレベルの違う存在に対する呼びかけの言葉です。

Hailの日本語訳がないことの考察

なぜ冒頭からこれほど苦労するのか考えました。それは日本特有の文化に由来しているのだと思います。

日本は長く徳川の江戸時代が続きますが、一般市民は将軍を見たり、話しかけたりすることはありません。偶然出会ったとしても、ひれ伏して、目を合わせることも許されません。近寄ったり気軽に呼びかけたりしたら「無礼者!」と、切り捨てられてしまうような文化です。

一方、欧米諸国の王たちは違います。もっと人前に積極的に出てきて、市民の歓声を浴びながら演説をぶったりします。ここに大いなる文化の違いがあるのです。この違いが、欧米諸国には王や神に対する呼びかけや歓喜の叫びが沢山あるのに対して、日本語には存在しない理由ではないでしょうか。

HailとかVivaのような呼び掛けは、おそらく、数千年も前のギリシャやローマの時代からあったのでしょう。さらに神や王を称える音楽や歌なども数多く作られています。
一方、江戸時代は、一般市民が将軍に対して「徳川万歳」などと声をかけるシチュエーションはありえなかったはずです。一般市民は将軍を目にすることもなかったでしょう。もちろん、将軍を称える音楽や歌もありません。見てはいけない、話をするなど許されない存在ですから。
それは現在にもつながっている日本特有の文化なのです。大学教授、会社の重役、有名なアーティスト、トップアスリートなど、お偉い方々や有名人には、おいそれと話しかけてはいけないという風潮があります。奥ゆかしいといえばそうなのでしょうが、世界的にみるといささか堅苦しい文化だと思われても仕方ありません。

Hailのイメージ

広場に面したバルコニーに王様が登場して、集まった市民が一斉に歓喜の叫び声を上げる。Hailはそんなイメージだと解釈しています。徳川さんはこんなことはしません。西洋の方々は、エリザベス女王しかり、ローマ法王しかり、今でもことあるごとに人前に現れ、Hailを受けるのです。

シェリーは、天高く舞いながら長時間美しい歌声で歌うヒバリを見て、人知を超えた神の存在を感じたのでしょう。その歓喜の叫びなのです。
日本人ならひれ伏すのでしょうが、西洋人は歓喜の叫びを投げかけて褒めたたえるのです。文化の違いです。「やあ」なんてなまっちょろい言葉ではないし、「万歳」とも違うでしょう。現代人なら「イエーイ!」とか「ワーオ!」に近い叫びなのかもしれません。王や神を目の前に迎えて言葉にならない叫びで熱狂的に讃えている状態。その状態を現す単語がHailなのではないかと思います。Hugと同様、日本文化に無かったものは、それに該当する日本語もないのです。

この50年程で、テレビが普及し、インターネットが構築され、日本も欧米化が進んでいます。芸能の分野ではアイドルやスターと呼ばれる存在が作られました。彼らのコンサート会場などで熱狂するファンの歓喜の声援。それが”Hail”に近いものだと解釈しています。「ジュリー!!」とか「ランちゃーん!!!」(ちょっと古いですが)に近い言動でしょう。

Hail to theeの解釈

シェイクスピアを研究していた家内によると、”thee” は”you”の古語だそうなので、冒頭の3語は、”Hail to you” と読み替えて良いでしょう。つまり、上空のヒバリに向かって、絶賛の叫び声を送っている情景なのです。ようやく理解できました。
しかし、実際のヒバリと出会うと、こういう気持ちになるのは事実です。ヒバリを見たことがない場合は、ぜひ郊外の畑などに行ってヒバリと遭遇されることをおすすめします。シェリーのような詩的な言葉で表すことはできなくても、初めてヒバリを見た人は、わー!とか、スゲー!とか叫んでいると思います。
日本語にできなくても、ヒバリと出会って絶讃する感覚は理解できるようになるでしょう。

冒頭のたったの3語でこれほど考えさせられてしまいました。先が思いやられます。

blithe Spirit!

次は、”blithe Spirit!” です。

“blithe”などという英単語も今まで使ったことがない単語です。辞書によると、「陽気な」とか「楽しい」「朗らかな」といったポジティブな意味や、「考えのない」、「軽率な」といったネガティブな意味もあるようです。

Spiritもさまざまな解釈ができますが、おそらく、ここでは普通に精神とか魂といった精神世界の目に見えないエネルギー体を現していると解釈しています。
さまざまな解説文を読むと、シェリーは時折、頭を大文字にする必要がない単語をあえて大文字で書き、注意を促すというサービスをしてくれるようです。強調して、「ここ、重要ですよ」と教えてくれるのです。Spiritは文末にあるにもかかわらず、Sが大文字になっています。しかも、最後に感嘆符までついています。これは重要なフレーズに違いありません。

なぜSpiritなのか

シェリーさんの視力がどのくらいあったのかわかりませんが、肖像画を拝見すると眼鏡はかけていないので、悪くはなかったのかもしれません。しかし、たとえ視力が良かったとしても、ヒバリの姿をはっきりと視認できていたかどうかは疑問です。現代でもはっきりとヒバリを見たことがある人は極めて少ないものです。名前は知っているし、声も聴いたことがあるでしょう。明らかに存在しているはずなのに、姿が見えない鳥なのです。
ヒバリのホバリング高度は地上100mほどと言われています。大きさはスズメほどです。100m先のスズメが見えないのと同様、100m上空のヒバリもまったく見えないか、見えてもほぼ点にしか見えません。
あれほどの声量で長時間アピールされるのに、声の方向を目を凝らしてどんなに探しても視認できない状況は、不思議な感覚に襲われます。確かに、青空に話しかけられているような、あるいは、天の声が聞こえているような錯覚に陥ってもおかしくありません。

何か目に見えないエネルギー体。それをシェリーはSpiritと表現したのでしょう。目に見えないけど、上空に確かに存在している、人知を超えた得体の知れない何か。正にSpiritなのです。

Hail to thee, blithe Spirit!

100メートルもの上空で長時間さえずるのは、縄張りを主張するためだと言われています。ヒバリにしてみれば生きるための必死の行動なのでしょうが、その歌声から、人間には陽気に、楽しそうに歌っているように聞こえてしまいます。それで、自然とblithe Spirit!という表現がうまれたのでしょう。

日本語で精神とか魂と言うと重くなってしまいますが、文脈から想像するに、彼は陽気な妖精が楽しく歌を歌っている情景を描いているのではないでしょうか。

妖精が上空で楽しく高らかに歌っているのを見て、賛美の叫びを贈っている情景。これが個人的な一行目の解釈です。

こう言う感覚は何百年経とうと変わらないのが面白いところです。日本では現在、ヒバリは絶滅の危機に瀕していて、都会に住んでいると滅多に見ることができません。しかし、もともと田畑や草むらに棲息する野鳥なので、シェリーの時代でも郊外に出かけないとなかなか出会える鳥ではなかったと思います。シェリーもメアリーとイタリア旅行中にヒバリと出会い、一気にこの詩を書き上げたと言われています。このとき、シェリーは生まれて初めてヒバリと遭遇したのかも知れません。

いずれにしても、ヒバリを見て、韻を踏んだ105行にも及ぶ詩を作れるのは後にも先にもシェリーしかいません。ヒバリの能力もさることながら、それを見て、おそらく今後永遠に残る詩として表現できるシェリーにこそHailを贈りたいと思います。

ここまで分析して、ようやく1行目のニュアンスが分かったような気になってきました。文学的素養がない自分にとってはこのくらいが限界です。
疲れてしまいました。続きはまたいつか。

Hail to thee, blithe Spirit!

2019年春 山内 昭

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