一時期雑誌の編集に携わっていたことがあります。海外帰国子女で、そもそも日本語がプアなはずですが、プアだからこそ普通の日本ネイティブの人がスルーしてしまう表現が気になったり疑問に思ったりすることがあるのかもしれません。元々凝り性な性格なので、疑問に思ったことはとことん調べ、自分なりには成長したと思います。編集に携わった期間の経験は、現在の仕事にも役立っています。
もっとも、それよりも長年やっているプログラミングの仕事は常に間違い探しや論理的思考の連続なので、編集作業と似ているのでしょう。個人的には性格的にどちらも合っているのかもしれません。
その割にこのブログはバグだらけじゃないかとお叱りを受けそうですが、これは仕事ではなく、思いついたまま気楽に書いていて編集のスイッチが入らないのでご勘弁ください。
編集の仕事
現在は不定期に発行される獣医師向け小冊子やKindle版の書籍の編集、毎月発行されるとある病院のニュース紙面の編集、その他獣医学書や論文の編集などを仕事として行っています。ウェブサイトの作成や更新なども原稿を直すことからはじめるので、編集作業と言えるでしょう。
こんな仕事を20年以上毎月行っています。日本語がプアな割に頑張っていると思います。
編集方針
言いたいことを文章で伝えるのは大変な作業です。小学生の頃は作文の時間が大嫌いでした。そんな人間が今では偉そうに人の文章を校正したり編集して公に配布しています。必要に迫られると変わるものです。
文章には大きく分けてダデアル調とデスマス調があります。大学で論文やレポートの校正も行っていますが、学術の世界での文章は、基本的にダデアル調です。その他教科書や専門書なども ダデアル調で書くことが多いようです。こちらのほうが単純明快で書く方は楽ですが、内容の論理性を問う校正作業になることが多くなります。
個人的には、デスマス調の文章の方が難しいと思います。特に普段ダデアル調で文章を書いているアカデミックな世界の人が一般向けにデスマス調で文章を書くと、目も当てられないほどひどい文章を書く人がいます。 ダデアルの部分をデスマスに置き換えただけで、小学生にも劣る文章です。そういう原稿の校正はなかなか大変です。普段論文をたくさん書いている人ほど一般向けのデスマス調文章が書けない傾向があるように思います。立場的にそのような著者の校正が多いので、かなり苦労しています。
難しい言葉を使いたがる
編集の仕事で一番問題なのは、とにかく難しい漢字を使い、難しい表現をしたがる人が多いことです。簡単な表現をするとバカにされるとでも思っているのでしょうか。
出版社で編集の仕事をしていた頃、仕事でY.F.さんという方にお会いしたことがあります。たくさんの著書を出しておられる医学博士です。一般向けの著書が多く、古生物学の学術的で高度な内容ながら、大変読みやすい内容です。このY.F.さんから衝撃的な教えを受けました。
馬鹿な奴ほど簡単なことを難しい言葉を使って難しく書こうとする。
賢い人は難しいことを簡単な言葉を使って易しく書こうとする。
と。多少乱暴な表現ではありますが、真を突いた言葉で、目からウロコでした。特に日本の学術の世界では難しい言葉を使って難しい表現をするほうが箔がつくというか、何だかわからないけどすごそう、と思われる傾向があり、それは間違ったことだと嘆いておられました。確かに日本語の論文は、一般の人が読みにくいようにわざと難しい表現を多用しているような書き方です。
特に日本語は世界の言語の中でも多様性があり、同じことを表現する方法がたくさん存在します。先のデスマス調とダデアル調も同じことの別の表現ですが、その他にも言い回しの数は他の言語と比較すると日本語の表現の種類が圧倒的に多いでしょう。その点、英語は単純明快です。わざと難しい表現をしたり、難しい漢字を使う日本語の論文よりも、英語論文の方が読みやすいと言われるゆえんです。専門性の高い論文では、もちろん難しいスペルの専門用語などが使われますが、文章の構成自体は平文で、普通の表現が使われています。専門用語さえ分かれば読むのは中学生の英語レベルで簡単に読めます。
それに比べて日本語論文のなんとわかりにくいことか。著者がイジワルで、わざとわかりにくく書いているのではないかと思う程です。日本の学会のこの間違った感覚は改善した方が良いでしょう。
何だかわからないけどカッコいいと勘違いしているよく論文に使われる表現
思われる
日本語の文章にはあまり人称を入れない習慣があるので仕方がないのかもしれませんが、個人的には論文で多用すべきではない表現だと思っています。非常に曖昧な表現だと思うのですが、レポートや論文には頻繁に使用されています。「私はこう言う結論に達した」と断言するのが怖いので「○○と思われる」の表現が使われるのでしょう。だったら論文にするなよ、と思うのですが、日本人の奥ゆかしさなのかもしれません。「誰が思っているの」とツッコミを入れたくなります。
英語論文だったらこんな曖昧な表現は却下でしょう。「自分はこう考える」という明確な表現をするはずです。
示唆する
これもちょっと学問をかじった人がよく使うフレーズです。何かカッコよいと思われているのでしょうか。しかし、これも日本人特有の非常に曖昧な表現です。仕事で英訳もよくしますが、いつもどう訳すべきか大変悩みます。直訳するとダメなパターンです。
呈する
医学系や生物系論文で人気ナンバーワンのフレーズです。人によっては何でもかんでも「呈する」を使いたがります。「赤色を呈する」くらいならまだしも、「発熱を呈する」、「疼痛を呈する」など、文末をすべて「呈する」にする傾向があります。すべての文に登場することもあり、いかにバカっぽい文章であるかを示すために、「呈する」をすべてマーカーを塗って原稿をそのまま返したことがあります。本人もあまりの多さにびっくりしていました。無意識で使っているのですね。こういう人は「顔が赤くなる」と言えば万人が分かる表現になるのに、わざわざ「顔面が赤色を呈する」と表現したがります。簡単なことを難しく表現しようとする良くない例です。
よくある論文表現
……深部に浸潤したと思われ、全身的な発熱及び幹部が赤褐色を呈し、重症化を示唆することが多い。
研究者には普通に聞こえるかもしれませんが、日本語としてはひどい文章です。しかも、これをデスマス調で書いてくれというと、文末に「です」をつけただけの文章を渡されます。
……深部に浸潤したと思われ、全身的な発熱及び幹部が赤褐色を呈し、重症化を示唆することが多いです。
申し訳ないけど、馬鹿なの、と思ってしまいます。ダデアル調だと、「多い」とか、「少ない」、「ある」、「ない」で終わることが多いのですが、デスマス調でこれらの文末に「です」をつけるだけで良いと思っている人が意外にも多いのです。学識ある方々なのに、ちょっとびっくりです。
形容詞+です
間違いではないのでしょうが、形容詞にですをつけるのは、口語としては許されても、文章にすると大変稚拙(ちせつ)に見えます。極力校正するようにしていますが、 学者肌の人にデスマス調の文章をきちんと書けない人が多いので、結構大変です。
難しいですね、日本語は。
あぶないです
ホームでのアナウンスで気になったものがあります。「あぶないですから、黄色い線の内側をお歩きください」というものです。「あぶないです」これも間違いではないのでしょうが、大変違和感を感じます。「危険ですから」と表現すべきでしょう。子供にも伝わるように配慮してこのようなアナウンスにあえてしているのだと思いますが、逆に子供に対するメッセージとして正しい日本語で表現すべきだと思いました。このアナウンスを聞いて育った子供たちは、それが正しい日本語表現だと思ってしまいます。個人的には教育上よくないことだと思います。
多いです・少ないです
多用されますが、大変気になります。会話ではおそらく普通に使われるのでしょうが、文章として書くと急に小学生が書く稚拙な文章に見えます。編集は文末の「多いです」を 「多くは」にして頭に持っていったりして日本語として違和感がない形にするので、文全体を書き直す必要が出てきます。
ないです
最近は学生と話していて大変違和感を感じるのが「ないです」という表現です。文章だけではなく、口語でも大変気になる表現です。
「○○を見たことありますか」とか「□□に行ったことありますか」と聞くと、ない場合はほぼ全員「ないです」と答えます。これは正しい日本語なのでしょうか。個人的には「ありません」とか「ございません」だと思いますが、皆「ないでーす」と答えます。間違いではないのでしょうが、大変バカっぽく聞こえます。最近は先生方と話しても、「ないです」と答える人が増えています。学生と話をしていると、洗脳されてそれが正しいと思えてくるのでしょう。個人的には違和感を感じます。
難しいです
これもよく見る表現です。口語では「それは難しいですねー」などと言うのは普通でしょうが、いざ文章に「難しいです」が登場すると大層違和感を感じます。
最近は大人も子供もこのような表現をする人が増えていますので、自分がおかしいのではないかと疑っています。旧人類だから違和感を感じるのでしょうか。
言葉は変化するものなので、あと数十年も経つと「多いです」、「あぶないです」、「ないです」などは普通の表現に昇格しているのかもしれませんが、今はまだ自分が校正する文章に使われている場合はことごとく直しています。
昇格したもの
おいしいです
一般にまかり通っている表現もあります。たとえば、「おいしい」の敬語の「おいしいです」は口語でも文語でもあまり違和感を感じないでしょう。形容詞「おいしい」+「です」なので、稚拙な表現なのですが、これはもう普通に使われていますので、本来使うべき「おいしゅうございます」などと言う人はもはや少ないと思います。逆に「おいしゅうございます」などと言ったら「ナニサマ」と思われてしまうかもしれません。
とにかく、日本語の編集は困難です。きわめて多様な上、流動的で時代とともに変化しています。このページも数年後には「こいつ何言ってんの」と思われることでしょう。