大した料理は作れませんが、料理自体は好きで、ほぼ毎日、朝と晩は料理をしています。タバコを止めてからはますます食べ物がおいしく感じるようになってしまいました。
男の料理の多分に漏れず、自分も調理器具に凝ってしまいます。デパートなどでも、家内が洋服のフロアに入りびたっているとき、自分はキッチン用品のフロアに入りびたり、気づくと実演販売のおじさんの前に陣取って見入っている自分に気づきます。
まったくの自己満足であり、宝の持ち腐れになることは知りながら、ついつい美しい道具に魅せられてしまいます。中でも特に心をくすぐられるのが刃物の類です。これは料理をするかどうかにかかわらず、男の子なら誰しも潜在的に刃物の美しさに魅力を感じていると思います。
しかし、私の刃物へのこだわりは少々他の人とは違うかもしれません。母親が料理好きだったこともあり、幼少の頃から包丁の扱いや研ぎ方を教わってきました。小学生のころから砥石で包丁を砥いでいた記憶があります。大学では建築学科だったので、烏口を砥いだり、模型製作のための切り出しナイフをいつも砥いでいました。そんなことから、刃物そのものもさることながら、砥いだり研磨するという行為に異常なほど魅力を感じます。美しいフォルムは当然のことで、切れ味がそれに伴っていないと意味がありません。切れない刃物ほど許せないものはないのです。
そんな折、鎌倉を散歩していて出会ったのが菊一という研ぎ専門のお店です。珍しいお店です。プロの研ぎ師にあらためて色々と教わりました。
小さな店ですが、こだわりの刃物が所せましと置かれています。刃物を買うと時間をかけて丁寧に研いでから渡してくれるところが、さすが研ぎ専門のお店です。
鋼(はがね)の菜切り包丁
ここで最初に買った菜切包丁。やはり鋼(はがね)の切れ味に魅せられて、軟鉄で鋼をサンドイッチにした日本古来の菜切包丁にしました。鋼と鉄なので、手入れをしないともちろん錆びます。しかし、切れ味は抜群です。
個人的には、昔から菜切包丁しか使いません。あまり家で魚をさばくことがないからです。野菜も肉も先が尖っている必要がなく、よく切れる菜切包丁があれば、それ一本で済みます。材料を切ったあと、すくって鍋にいれたりするのも菜切包丁の独特な形状は大変便利です。
今までは荒砥石、中砥石までしか使っていませんでしたが、お店の方に、切れ味の持続期間が違うから仕上げ砥石まで使うことをすすめられ、仕上げ砥石もいっしょに買わせてもらいました。確かに違います。あらゆる食材が抵抗なく切れる感覚です。また、砥石の粒子が細かく、鏡面に近い研磨ができ、美しさも格段に違います。ちょっと切れ味が悪くなったときなどは、仕上げ砥石でちょっと研ぐだけで切れ味が再生します。
刃線のアップ。炭素を多く含み、硬い鋼(はがね)はもろく、衝撃に対する強度が失われます。そのため、粘り気のある軟鉄でサンドイッチにして鍛造して作られる構造は日本刀と同じ製法です。刃線(刃の先端)から数ミリ見える光り方が違う部分が鋼で、軟鉄とは色が異なるため、研ぐと波紋が表れます。これが和包丁の特徴です。洋包丁はこんなに手間がかかる作り方はしません。洋包丁は研いでもあまり面白くありませんが、和包丁はこういうところが実に面白いと思います。刃境や鋼の先端の剃刀のような刃線は和包丁特有のものであり、ぞくぞくする魔力があります。
ステンレスの墨流し菜切り包丁
2つ目に買った包丁です。長年愛用していた前の包丁を不注意で床に落下させてしまい、大きく刃こぼれさせてしまったため、菊一さんに修復してもらいに持って行きました。直せるとのことでしたが、しばらくの預かりになってしまい、その間ストレスが溜るといけないので、別の包丁を買うことにしました。店内を見渡して、一目ぼれしたのがこの包丁でした。
種類が異なるステンレスを積層して鍛造したもので、切刃に現れる複数の波紋が美しい包丁です。
お店の方に、「最近のステンレスはすごいですよー、その包丁の中心に使っている材質は鋼に匹敵する切れ味ですよー」と言われ、少々値が張りましたが買わせていただきました。
確かに切れますが、厚みがあって重く、切れ味は鋼の包丁の方がやはり上に感じます。美しさは断然こちらですが。
こんな切刃をしています。刃線を構成する材質以外は飾りの要素が強いのでしょうが、自分で研いで、仕上げまで終わった後の美しさを見るだけで満足感があります。こんな包丁を使うだけでなんだか料理が楽しくなるし、うまくなったような気がしてきます。
時にはそういう錯覚も大切です。
研ぎ師
名刺をいただきましたが、肩書は「研ぎ師」です。憧れます。
お店の1/3位が研ぎのスペースで、ずらりと積まれた砥石から適切なものを選んで研いでくれます。研ぎの工程は実にリズミカルで、見入ってしまいます。包丁を買っただけでも、何度も砥石を変えて、仕上げ研磨までしてくれます。
最後は自分の首の後ろに刃をあてて状態を確認していました。最初に見た時はびっくりして、「今何したんですか」と思わず聞いてしまいました。良い子は真似をしないことです。
私は左面の研ぎが難しく感じていたので、その旨を告げると丁寧にコツを教えていただきました。
後ろには日本刀が並んでいます。さすがの鎌倉でも、日本刀を研げる人はそう多くないのでしょう。かなり需要があるようで、今まで数回日本刀を持ち込んで来た人と出くわしました。魅力的ですが、日本刀にはまるほど金銭的な余裕はありません。
切れ味
庭で育てたゴーヤです。自分で育てると、何だか情が移って収穫するのがしのびないのですが、放置すると黄色くなって爆発するだけなので、食べてあげた方が良いのでしょう。これも種の周りが赤くなっているので、躊躇しているうちにちょっと熟れすぎました。
この手の野菜を切れない包丁で切ると、刃が種にひっかかって、種が移動してしまうのですが、切れる包丁だと種ごとスパッと無抵抗で切れるため、種が移動しません。
せっかく良い包丁を使っているので、まな板もこだわって榧(かや)の一枚板のものを使っています。もう16年ほど使っていますが、まったく痛みません。桐(きり)は結構はやくダメになりますが、榧は大事に使えば一生使えるかもしれません。
修復
愛用の鋼の菜切り包丁が帰ってきました。さすが研ぎ屋さんです。刃こぼれは跡形もなくきれいに修復されています。
カミソリのような切れ味も元通りです。
しかし、幅は少し細身になってしまいました。
ペティナイフ
テーブルで使う小さなナイフが欲しかったので、また菊一さんに立ち寄らせてもらいました。
果物ナイフなのに鋼(はがね)をステンレスで挟んで鍛造したものに出会ってしまいました。波紋が見える果物ナイフなんて見たことがありませんでした。素晴らしい出来です。
果物ナイフ一本でも、 またいつものように時間をかけて丁寧に研いでから包んでくれました。果物ナイフがこんなに切れて良いのかと思うほど実によく切れます。鋼材も安来鋼(やすきはがね)の青紙のようです。刃線を見るとまるで日本刀です。
平(ひら)部分は梨地仕上げで、バランスよく菊一の銘が入ります。
食卓近くに置くので、別売りの鞘も一緒に購入しました。
刃物好きにはおすすめです。