あいまいなアイマイミー

以前、日本の英語教育は百年前のイギリス英語だ(海外帰国子女なのにテストはいつも80点)と書きましたが、文法から厳格に定義していく日本英語では必然的にそうなってしまうのでしょう。したがって、一人称のアイマイミーの使い方も厳格です。

しかし、実際の英語圏の人々が話している言葉を聞いていると、アイマイミーの使い分けは至って曖昧です。日本英語では正解とされるHe is taller than I. は、アメリカ人の99%の人はHe is taller than me. と言うでしょう。

ネイティブ

ネイティブアメリカンというと、昔はインディアンと呼ばれていたアメリカ大陸の先住民のことになります。その他の住人はすべて別の国から移住してきた人やその子孫です。アメリカは高々200年程度の歴史しかありません。
イギリスでネイティブと言えば、イギリスでブリティッシュイングリッシュを話す人だと思いますが、アメリカでネイティブと言ってもあまり意味がないかもしれません。英語圏以外の人間が英語論文を書く場合などは、「ネイティブの校正が必要」と言われますが、このネイティブは何を表しているのか疑問に思うことがあります。一般的には英語圏できちんと教育を受けた人を指すのだと思いますが、アメリカに住んだことがある人は、きっとネイティブという言葉に疑問を持っている人が多いのではないでしょうか。

アメリカ人

アメリカはよく言われているように、様々な国から移住して来た人種のルツボです。中南米から大量に移住して来たスペイン系の人々、中国系の人々、イタリア系、ロシア系、アイルランド系、日系など様々です。ネイティブアメリカンの人々も忘れてはいけません。
こういった様々な国から移住して来た人の集まりがアメリカ人なのです。そもそも最初に移住して来たのがイギリス系だったから公用語が英語になっているだけで、スペイン系だったらスペイン語が公用語になっていたことでしょう。

そんなわけで、アメリカに住んでいると、思いのほか英語がプアな人と出会います。こっちもプアですが、相手もプア。それでもなんとなく会話が成立してしまうのが不思議です。それこそがアメリカなんですね。適当に何か話してると何となく通じる。英語の正しい文法なんか知らなくても、ボキャブラリーも少なくても、日常生活で困ることはあまりないのです。
特にコミュニティーを作っている民族や民族色が強い地域に住んでいる人たちの中には、英語が全く話せない人もいます。それでも何とかなってしまう国です。

統計的にどこまで正確か分かりませんが、アメリカ人の10人に1人は英語が話せなくて、英語が話せる人でも読み書きができない人が10~20%ほどいるようです。移住者が多い国では仕方ないことですね。自分たちもアメリカに行った直後は英語もできないし、読み書きもできなかったわけですから。私の母は3年アメリカに住んでいましたが、結局英語は話せません。どうやって生活していたかと言うと、お店の店員さんたちに逆に日本語を教えていました。母は強しです。

数年前、一度フロリダの学会の通訳としてヒューストン経由でマイアミに行ったことがありますが、ヒューストンの空港で英語が通じなくて困ったことがあります。マイアミに着いたら普通に英語が通じました。現地の人に話したら「私たちもテキサス州の人たちは何を言っているのか聞き取れない」と言っていたので安心しました。アメリカも南部はメキシコからのスペイン系移民が多く、スパニッシュイングリッシュのようです。

一人称

さて、アメリカは標語としている E pluribus unum が示す通り、様々な人種や言語を包含しながら形成されている一つの国家です。したがって、言葉も様々な民族の影響を受けて独自の進化をしています。冒頭の I の使い方などは、日本英語が厳格過ぎるきらいがあり、おそらく日本で英語をきっちり学んだ人はアメリカに行くと、彼らの英語のいい加減さに驚くかもしれません。
人によってはアイマイミーの使い方がめちゃくちゃです。正確に言うと、一人称にmeしか使わない人が結構います。Me want to go home. とかGive me back me pen. のように、本来であれば I や my であるべき一人称に me を使うのです。

ピジン語やクレオール語と言うのでしょうか。新大陸に集まった様々な民族間で言葉が通じない時代に、貿易などをするために発音しやすい言葉を合成して作られた言語です。それらが未だに根強く残っているのでしょう。文法なんかどうでもいいので、とにかく意思の疎通ができればOKというおおらかな気風で作られ、使い続けられている言語です。
そういう文化ですから、I の代わりに me を使っても、my の代わりに me を使っても、間違いとは言い切れないのです。ブリティッシュイングリッシュでは間違いなのでしょうが、使っている人は、そんな細かいこと言うなよ、という方々です。

有名なバナナボートソングの歌詞なんか、日本の英語の先生が見たらバツ付けまくりだと思います。冒頭の3つのスタンザはこんな歌詞です。中高年以降の方は、「いてーよ、いててええよー」という替え歌でメロディを覚えていらっしゃる方が多いでしょう。

Day-o, day-o
Daylight come and me wan’ go home
Day, me say day, me say day, me say day
Me say day, me say day-o
Daylight come and me wan’ go home


Work all night on a drink of rum
Daylight come and me wan’ go home
Stack banana ‘til de mornin’ come
Daylight come and me wan’ go home


Come, mister tally man, tally me banana
Daylight come and me wan’ go home
Come, mister tally man, tally me banana
Daylight come and me wan’ go home

前半は「 I 」であるべき箇所がすべて「me」となっています。後半の「 Come, mister tally man, tally me banana 」の「me」は「my」ですね。

ちなみに、Day-oはアフリカのヨルバ語で、Joy arrives と言う意味だそうです。Day all の省略だと思っていました。

ウィーンで中学生の頃、クラスメイトにオーストラリア大使の息子がいましたが、彼は「my」の箇所だけがすべて「me」でした。間違えて言っているのではなく、常時「me」でした。本当に「me」なのか、単にオーストラリア人の「my」の発音が「ミー」なのか分かりませんが、明らかにmeの発音です。私の鉛筆は ” Me pencil” (ミーペンシル)と言います。でも大勢に影響ないのです。最初は面白がって真似されたりしていましたが、そのうちそれが普通になってきますし、彼も特に直そうとはしません。 それは彼の個性でした。 挨拶もグッダイです。

話をアメリカに戻しましょう。そもそも米語も英語も発音がかなり異なるのに、その上オーストラリア人、メキシコ人、中国人、日本人などが独自の発音でプアな英語を話すわけですから、結構めちゃくちゃです。おそらく、その後も教育を受ける人は、高校、大学と進んで、社会に出るまでに標準的な米語に矯正されていくのでしょうが、教育を受けない人たちは、めちゃくちゃなまま大人になります。田舎の一軒家で先祖代々農業をしている人や、カリブ海の島々から移住して来た人々はクレオール語に近い言葉を話す人も多いようです。でも大丈夫なのです。読み書きもできなくても大丈夫。アメリカでは生きていけるのです。

アメリカがかかえる問題は人種差別や移民の問題だけではありません。そもそも小学校の入学率が9割ほどしかありません。普段、日本人が見るアメリカのイメージは、ニューヨークやロサンゼルスといった都市部のイメージです。都市部だけを見ていてもわかりませんが、東海岸、西海岸以外のアメリカの中央の広大な農村地帯にも人が住んでいるわけで、そういった場所には通える小学校がなかったりします。読み書きできなくても、計算ができなくても、農業するには支障がないので、子供の頃から学校は行かずに働く子供たちもいます。
住むところがあり、食べるものがあり、車があって、ガソリン代を払えるだけの収入があれば生きていけるのです。アイマイミーがめちゃくちゃでも、読み書きができなくてもハッピーに生きている人はたくさんいます。

犯罪につながるということで、アメリカ政府は教育に力をいれようとしていますが、日本のように小学校入学率99%以上、識字率99%以上にするのは難しいのではないでしょうか。国土の広さや国民性、自由、個性の尊重など、日本とは比較できない異文化です。それがアメリカの良さでもあり、闇でもあるのです。

著者
Yama

大学卒業後しばらくは建築設計に従事。その後人工知能の研究所で知的CADシステムやエキスパートシステムを開発。15年ほどプログラマをしていましたが、管理職になるのが嫌で退職。現在は某大学の非常勤講師(情報学)、動物医療系および野鳥写真家、ウェブプログラマ、出版業などをしながら細々と暮らしています。

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