悩める帰国子女

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帰国子女のメリット・デメリット

自分は帰国子女です。「うらやましー」とか言われることが多いのですが、当人にとっては大して良いことはありません。自分も含めて、日本に馴染めなくて悩みを抱えている帰国子女は多いようです。
このページに来られた方も帰国子女で、何らかの悩みを抱えて訪れてくださったのではないでしょうか。もちろん、帰国子女にも良いところもあり、悪いところもあります。メリットはそのまま伸ばして行けば良いとして、デメリットはどのように克服すべきか、あるいは克服できないか、ということを書いてみたいと思います。

帰国子女とは

帰国子女の定義が厳密に決められているのかどうかは分かりませんが、基本的には本人の意思ではなく、親の仕事の関係などによって、学童が国外で生活し、日本に帰ってきた人たちのことと思っています。どこに移住したのか、何歳から何歳まで海外で過ごしたのか、個人の性格はどうなのか、などの条件によって受ける影響はかなり異なると思いますが、一般的には社会に出る前の多感な子供のころを海外で過ごすことになるので、人間形成的にも多大な影響を受けることになります。
子供にしてみれば、日本で平穏無事に暮らしていたのに、突然異国に連れていかれ、言葉も通じない知らない学校に入れられるのですから、たまったものじゃありません。
それが良い方向に作用することもあれば、悪い方向に作用してしまうこともあります。

以下は個人的な例です。

いつ、どこに

父親の仕事の関係で、小学校3年生が終わった3月にアメリカサンフランシスコに家族で移住しました。1969年のことです。アメリカは9月はじまりなので、3月時点では現地小学校の4年の途中に入るわけにいかず、3年に編入という形になりました。半年間もう一度小学3年生をやることになりました。
3年生の途中から、4年生、5年生、6年生の途中までアメリカでしたが、丁度その頃アメリカでは人種差別をなくすための試みとしてバッシング(Bussing)制度といって、最寄りの学校ではなく、 生徒たちをスクランブルしてバスで毎年違う学校に通わせる方式を試しているときでした。そのため、3、4、5、6年で行った学校は全部違う学校です。これは失敗だったようで、現在ではやっていないようです。

アメリカで丸3年過ごした3月に、今度はオーストリアのウィーンに移住することになります。そこではアメリカンインターナショナルスクールという私立の学校の6年生に編入し、中学2年が終わるときに日本に帰国しました。日本は4月はじまりであるため、このときは日本の中学2年に編入という形になったので、行ったときと帰った時で合計1年ずれた形になりました。

結果的に、小学校3年から中学2年まで、海外で過ごした形になります。
余談ですが、小学校3年までの間も日本で引っ越しをしたので、小学校は2校行っています。合計で小学校は全部で7校行ったことになります。小学校に7校行った人は、自分以外見たことがありません。

メリット

オーストリアはドイツ語圏ですが、アメリカンインターナショナルスクールに行ったため、授業はすべて英語です。したがって、アメリカとオーストリアで6年ほど英語圏で過ごしたことになります。

子供の順応性はすばらしく、最初のアメリカでは、アルファベットも知らない小学3年生は半年もするとなんだかんだ友達と話ができるようになります。文法も知らないし、単語も小中学生レベルですが、6年も住んでいると会話は特に問題ないレベルになります。今思うと荒療治ですが、片言も話せない状態で現地の公立の小学校に入れられたのがかえって良かったのかもしれません。日本語がまったく通じない世界にいきなり入れられたので、英語を話すしかなかったのです。
そこで身についた小中学校レベルの英語力は、日本に帰国後は多大なメリットになりました。日本の英語の授業はちんぷんかんぷんで、まったく理解できませんでしたが、面白いことに中間テストや期末テストは、まったく勉強しなくてもコンスタントに80点前後は取れるのです。中学、高校から大学受験まで、英語は一切勉強しないで済んだことは、暗記が苦手な自分にとっては大変ありがたいことでした。

この小中学校の時代に身についた英語の感覚は今でも役立っています。たいして英語はできませんが、海外とのメールのやり取りや、英語のウェブサイトを読むことに抵抗がありません。海外に行かず、日本で普通に英語を習っていたら、自分の性格を考えると英語で身を滅ぼしていたことでしょう。これに関しては帰国子女であったことに感謝しています。

デメリット

デメリットはたくさんあります。

字が書けない

まず、漢字が書けません。日本の小中学校でイヤというほど漢字を教え込む理由がわかりました。大人になってからだと絶対に憶えられません。小学校3年から中学2年までに習う漢字は膨大にあると思いますが、それがすべて欠如しています。小中学校は、おそらく、日本人が普段使う漢字を一番習う期間なのではないでしょうか。それが抜けているのは、日本で生活する上でかなり致命的です。何十年経っても、読めるようにはなりましたが、未だに書けません。これはもう諦めました。
習字もやったことがないので、字もめちゃくちゃ下手です。小学校3年生から進歩していません。バカだと思われるので、人前では字を書かないようにしています。
しかし、ちょうど時を同じくしてコンピュータが大頭して、ワードプロセッサが使えるようになったので、ずいぶんごまかしが利くようになったのはありがたいことです。

日本の歴史を知らない

つい最近まで大阪城を誰が建てたのか知りませんでした。社会に出てから上司と大阪に出張に行った時に大阪城の話題について行けず、「本当に知らないの?」と呆れられました。武田信玄と織田信長の区別もできません。こういう歴史は小中学校で習うのでしょうか。元々歴史には興味がなく、今でも興味はないので未だに日本の歴史の知識はほぼゼロです。
普段はあまり露呈することはありませんが、何かがきっかけで歴史の話になると、相手から「へ? こいつ大丈夫か? 」と思われることがよくあります。
高校は日本の高校でしたが、日本史の教科書は漢字だらけで、良く読めなかったのであきらめていました。

言いたいことを言ってしまう

外国の方々は、結構ズバズバものを言います。思ったことをストレートに表現します。これはおいしい、これはまずい、あなたが悪い、それはやりたくない、などとはっきり言います。日本人のような奥ゆかしさや相手を気遣った中途半端な表現はしません。嫌なことははっきりNoと言います。日本人のように、Noの代わりに「前向きに検討します」などという表現はありません。
6年も住んでいるとそういう文化が体にしみ込んでいるので、日本では嫌われます。日本でははっきり表現することは無礼であったり、自分勝手やわがままというイメージを与えるようです。当然、クラスでは嫌われます。

好きなもの嫌いなもの

個性が尊重されるため、自分が好きなもの、嫌いなものがはっきりしています。例えば、日本人はグループで食事に行って、誰かが「俺ラーメン」と言うと、「僕も」、「私も」と全員同じものを注文する傾向があります。自分だけ違う物を食べるのをためらったり、作る人も同じものの方が楽かなと考えたり、会計が面倒にならなくて良いかな、とか、色々考えて他の人の意見に合わせようとする傾向が見られます。
一方、海外で育つと他が全員ラーメンを頼んでいても「私はカレー。福神漬けはぬきで」、「僕はスパゲッティでパルミジャーノたっぷりかけて」といったように、自分が好きなものが明確にあって、他人が何と言おうと自分の個性を押し通す傾向があります。これはもう文化の違いですね。
そもそも、日本人は小さい頃から好き嫌いをなくすように体罰を課してまで矯正させられますが、アメリカでそんなことをしたら犯罪になってしまいます。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いで押し通します。それが個性で、尊重されるのです。ハンバーガーが好きな人は3食ハンバーガーを食べます。ピザが好きな人はピザばかり食べます。だからあんなに不健康な体形になるのでしょうが、彼らはそれで良いと思っているのです。
そんな中で育ったため、自分も好き嫌いが多く、好きなものしか食べません。当然、グループで何か食べに行っても、自分は好きなものを食べます。そんなわけで、日本では仲間外れにされます。

帰国子女は友達いない説

こういったことを繰り返していると、文化の違いから日本人のグループからは村八分にされることがよくあります。アメリカのように元から人種のルツボのような国とは180度異なり、ずっと島国だった日本は異質なものは排除しようとします。それはすごく感じました。同じ服を着て、同じものを持って、同じものを食べて、同じ考えを持っていないと仲間には入れてくれない風潮があります。もっと順応性が高い人はすぐに文化になじめるのでしょうが、そうではない人は友達もできず、苦労することもあります。いじめの対象にもなりかねません。
多分に持って生まれた性格の影響の方が多いと思いますが、自分は友達がいません。元々社交的ではなかったので、特に友達が欲しいと思ったこともありませんし、一人で過ごすことに馴れてしまっています。強いて言えば、家内が唯一の理解者であり、親友です。

帰国子女の日本での生き方

以上のように、帰国子女にはメリット・デメリットがあり、克服できることとできないことがあります。言語の違いや文化の違いは根強く、育った環境の影響は何十年経っても変えられません。根本的な考え方や人との接し方などに必ず何らかの影響を及ぼしています。それはもうどうしようもありません。

仕方がないので、ある時から良いとこ取りで生きて行くことにしました。海外には海外の良いところがあり、日本には日本の良いところがあります。同様に、それぞれの文化の良くないところも見えてきます。良くないところは切り捨て、双方の文化の良いところだけを活用するようにしました。それができるようになるには何年もかかるかもしれませんが、ポジティブに考えて実行していれば道は開けると思います。

自分の場合、中2で帰国したときは日本語がプアでした。話すのはさほど問題ありませんでしたが、読み書きがほとんどできず、教科書も読めないし、テストの問題文もちんぷんかんぷんでした。漢字が読めないので仕方ありません。海外に行く前から勉強は嫌いでしたが、ますます嫌いになり、完全に落ちこぼれです。唯一数学だけは好きでした。数字は万国共通ですから。

小学生の頃は算数も嫌いで、何とかして九九を半分だけ覚えましたが、アメリカで5年生の時にこの子は掛け算ができるということで天才扱いされ、算数の時間だけ飛び級させられたことがきっかけで数学だけは好きになっていました。不思議なものです。当時のアメリカの小学生は、5年生になっても掛け算ができなかったのです。
アメリカの文化は、小学生の頃からとにかく個性を尊重されるので、好きな科目はどんどん伸ばしてくれます。逆にできない科目については何も言われません。日本の教育のように、皆がすべての分野で平均を目指すような教育はしないのです。日本だったらダメな子は居残されたりしてとことん指導されますが、アメリカでは0点取ろうが放置です。その代わり、好きなものはどんどん伸ばしてくれます。ダメになる子はどんどんダメになり、伸びる子はどんどん伸びます。小学校を卒業するころには将来犯罪者になるグループと、将来ビバリーヒルズに住むグループに分かれるような学力の差が生まれます。
日本は全国民が中流家庭、アメリカは貧富の差が激しい社会ですが、その基盤が小学生の時にすでにできているのです。

そんな個性を尊重する環境で育ったため、帰国してからも、その文化は体に染みついていて、中2で帰国してからは好きな数学しかしませんでした。通信簿は数学と英語以外はほぼオール2です。そのため、中学は落ちこぼれ扱いで、高校受験は当時新設されたその地域で一番偏差値が低い公立高校しか選択の余地がない状況でした。

高校ではますます偏り、数学以外の学問はクソだと思うような偏屈な人間になってしまっていました。他の科目はほぼ捨てていました。英語はメリットで述べた通り、何もしなくても80点でしたので、大学は私立理系しかありえない状況です。高校でも数学と英語以外はほぼ2です。

でも大丈夫

アメリカで学んだ、とにかく好きなことはとことんやる、という教えを実践して、数学は趣味のように暇さえあれば問題を解いていました。ほかの捨てた科目や英語の授業中も数学ばかりやっていました。いつしか数学者になりたいと思っていたほどです。
そんな落ちこぼれ高校生でも、数学と英語が他の人よりも秀でていたため、某私立大学理工学部の建築学科と数学科に現役で受かりました。好きなものを極めれば何とかなるものです。英語は帰国子女であったお蔭です。考えてみると、他の科目を捨てて数学しか勉強しなかったこと、友達があまりいなかったこと、好きなことしかしなかったこと、などは全て海外生活の影響です。こんな人間でも進むべき道があり、ちゃんと拾ってくれるところがあるということを実感しました。ネガティブにならず、帰国子女の良いとこ取りをした結果です。

40年後

帰国子女であったことは、未だに社会生活に支障をきたしています。相変わらず漢字は書けないし、字も小学生より下手です。日本史にも興味ないので、戦国武将や将軍の名前は一人も言えません。
でもアメリカの良いところを受け継いで好きなことだけをとことんやったおかげで、建築や数学からコンピュータの道に進み、人工知能の研究をして、現在は大学で情報学の授業を持っています。相変わらず漢字は書けず、あまりにも字が下手なので、決して板書はしません。すべてパワポのスライドです。良い世の中になりました。

文化の違いに大いに悩まされたこともありましたが、乗り越えると見えてくることもあります。日本とアメリカそれぞれの文化の良いところと悪いところが見えてくると逆にそれが面白いと思うようになります。若い頃は悪いところばかりが見えていましたが、歳とともに良いところを見るようになりました。

そんなわけで、今は楽しく幸せに暮らしています。あいかわらず友達はいませんけど。

アドバイス

帰国子女で悩んでいる皆さん。大丈夫です。どちらの文化も否定するのではなく、双方の文化の良いところだけ取り入れるように努力してください。何年かかかると思いますが、いつか光が見えるはずです。ちょっと変な日本人はぬぐえないかもしれませんが、それがあなたの個性として輝くはずです。

著者
Yama

大学卒業後しばらくは建築設計に従事。その後人工知能の研究所で知的CADシステムやエキスパートシステムを開発。15年ほどプログラマをしていましたが、管理職になるのが嫌で退職。現在は某大学の非常勤講師(情報学)、動物医療系および野鳥写真家、ウェブプログラマ、出版業などをしながら細々と暮らしています。

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