オヤジが絵画好きだったためか、ウィーンに住んでいた頃は長期の夏休みを利用してイタリア、フランスを旅行して美術館巡りをしていました。自分は当時小学生~中学生でしたので、美術にはさほど興味もなく、親の後をボーっとついて回っていただけですが、やはり名画と言われている作品を見た記憶は鮮明に覚えています。
オーラを放っているのか、オーラを放っているような展示の方法なのか分かりませんが、受胎告知にしてもモナ・リザにしてもただならぬ雰囲気に圧倒されるのです。小中学生なので、絵の良し悪しなんか分かりません。ただ今まで教科書や本でしか見たことがない絵画が目の前にあるというだけで強烈な印象として残るのでしょう。
オヤジが熱く語るウンチクも素直に聞いていました。
そんな幼少時代を過ごしたので、自ずとレオナルド・ダ・ヴィンチが世紀の天才、スーパーヒーローとして自分の中に構築されて行きます。絵画だけではなく、墓から死体を掘り起こして解剖をするほどのただならぬ探求心、様々な装置の発明、建築デザインなど、世の中の森羅万象に興味を持つ姿勢や生き様にあこがれを持つのです。多くの人と同様、ダ・ヴィンチにあこがれ、真似をしてみるも挫折して凡人に収まるのです。
知的生産の技術
もう50年以上前の出版ですが、梅棹忠雄さんが書かれた「知的生産の技術」という本があります。現在でも増刷が続けられている歴史的名著です。レオナルド・ダ・ヴィンチにあこがれるきっかけになった本です。
とにかく何でもかんでも記録し、それを整理する技術を身につけようという内容です。これは物心ついたら全員に読んでもらいたい本です。その中で、梅棹忠雄さんもレオナルド・ダ・ヴィンチに憧れ、真似をしたことからはじまったと記しています。レオナルド・ダ・ヴィンチはとにかくメモ魔として有名で、今日の野菜の値段がいくらだったとか、すれ違った人の顔の特徴とか、何の役に立つか分からないような些細なことも全てメモとして記録していたという話です。そのため、 レオナルド・ダ・ヴィンチ のノートは膨大な量となり、彼の死後は弟子たちが切り分けてテーマごとにまとめたのですが、そのほとんどが散逸して行方不明になってしまいました。
梅棹忠雄さんはメモの方法をさらに進化させ、1テーマ1枚のカードに書いて管理する方法を提唱しています。その時気づいたことをカードにきちんと文章として書いておき、それを論理的に並び替えればいつか本になるよ、という算段です。
知的生産の技術で言っていることは、曲解かもしれませんが、脳を記憶のために使うなということです。人間の記憶なんて大したことなく、3日も経てば曖昧になってしまいます。なので、気づいたこと、感じたことをその場でカードに書くことが大切です。そうすればもう忘れてしまって良いのです。その分、脳ミソは情報の整理や記録した情報の組み換え、さらに新しい発想に使いましょう、という風に解釈しています。
レオナルド・ダ・ヴィンチのメモ魔も同じ考えなのだと思います。早くから記憶の限界や曖昧さに気づいていて、情報の記憶は紙にさせ、脳は考えることに使おう、という発想なのでしょう。
SNS
考えてみると、現在のツイッターやブログなども元の発想は同じなのかもしれません。現在はフォロー数がどうのとか、収益がどうのと純粋さが失われていますが、元は気づいたこと、感じたことを自分のメモとしてつぶやいたり、書いたりするツールなので、知的生産の技術で使われていたKJカードの電子版と思っても良いのかもしれません。しかも、昔と違って写真や動画、音声までもメモとして保存することができるのです。
そう考えると素晴らしいツールですね。検索もできるし、並べ替えもできます。発想の原点は非常に近いのかもしれません。今までは否定的でしたが、考え方が変わりました。その場で思いついたことの、自分の備忘録としてこのPhoto-monographも書いています。書いたことは明日には忘れています。
写真
写真も情報の記録です。思いついたことをカードに書くのと、気づいたり感じた光景を写真に撮る行為は少し似ています。カードも写真も作ったり撮ったりすることよりも、どう整理するかが大変重要です。写真は月に数万枚は撮りますが、すべて完璧な階層構造を構築したフォルダに分類して保存してあります。写真にはすべて固有のファイル名を付けて、ファイル名を見るだけで、いつ、どこで撮った写真なのか分かるようになっています。
仕事なので、ファイルが迷子になることだけは避けなければなりません。何十年も同じ方法で分類しているので、何年前の写真でも、迷うことなくすぐに探し出せます。
ダ・ヴィンチにはなれませんでしたが、知的生産の技術の恩恵です。
大学で授業をしていて、「ここ重要です」と言うと、スマホ時代になってからみな写真を撮るので憤慨していましたが、整理さえきちんと出きるのであれば案外役に立つのかもしれません。情報整理の仕方は人それぞれなのでとやかく言わないことにします。
レオナルド・ダ・ヴィンチの空想厨房
話しを元に戻しましょう。
何でもメモをしたと言われるレオナルド・ダ・ヴィンチですが、彼の死後、膨大なスケッチやメモは弟子たちが切り分け、ジャンル毎にまとめたものを保管したり売ったりして散逸してしまいますが、いくつかは手稿として発見されています。
万物に興味があり、数学、物理学、天文学、生物学、解剖学、建築学にまで至る分野のスケッチやメモが残されていますが、なぜか「食」に関してのメモだけは発見されていません。忙しすぎて料理に目を向ける暇もなかったのでしょうか。これほど何にでも興味を持った人物が、食文化や料理に興味を持たないはずがありません。
何を隠そう、レオナルド・ダ・ヴィンチは料理に興味がないどころか、レストランの料理長を務めるほど大変なグルメだったということでこの本ははじまります。
ダ・ヴィンチの死後、弟子たちがジャンル分けして散逸してしまったメモの中に、当然「料理」のジャンルもあったはずです。それが長らく行方不明になっていて、料理についてまとめてあったが故、他ではダ・ヴィンチの料理に関する記述が一切出て来なかったのです。
ロマノフ写本
レオナルド・ダ・ヴィンチの料理だけを集めたまぼろしの手稿はロシアのエルミタージュ美術館の宝物庫に厳重に保管されていると言われています。
ご存じのようにレオナルド・ダ・ヴィンチは左利きです。当時はイカ墨をインクとして羽根ペンで書くような時代ですから、インクの乾きが悪く、左利きの人が普通に左から右に文字を書くと手でこすれてしまいます。それを解決する方法としてレオナルド・ダ・ヴィンチは鏡文字を使っていました。鏡に映したかのように、すべて反転した文字で右から左に記述したのです。そのため、普通の人は読めません。こんなところも独創的です。
エルミタージュ美術館に眠っていると言われるダ・ヴィンチの手稿をパスクァーレ・ピサピーアなる人物が標準の筆記法で写本したものがロマノフ写本と言われています。
しかし、エルミタージュ美術館はダ・ヴィンチの手稿の存在を否定していますし、 パスクァーレ・ピサピーア なる人物が実在するのかも定かではありません。まったくの作り話の可能性も大いにあるのです。
いやー、まさかー、とか思いながら読む分にはなかなか楽しめる本ですが、ところどころに本当かもと思えるいかにもダ・ヴィンチらしき記述もあるのです。三又フォークの発明、ナプキンの発明はレオナルド・ダ・ヴィンチと言われています。諸説ありますが、スパゲッティの発明もダ・ヴィンチと言われています。真相はよくわかりません。
最後の晩餐を描いた画家ですから、食に興味がないはずはありません。食を研究しつくした上で、意図してあの質素な食卓の絵を描いたのでしょう。
当時の食文化に思いをはせながら騙されたつもりでレオナルド・ダ・ヴィンチの空想厨房を読んでみるのも良いかと思います。真相は分かりませんが、当時のイタリアの食文化が想像できて楽しめます。
ロマノフ写本が完全にでっち上げだとしても、ダ・ヴィンチは人一倍食文化や料理に興味があったと信じています。何といってもイタリア人ですから。
自分も料理が好きで、ほぼ365日朝晩とも料理をするので、その点少しだけダ・ヴィンチに近づけたかのような錯覚をおぼえます。