AISの授業その5:屠殺場見学(Slaughter study:狩猟民族と農耕民族のギャップ)

以前、宗教の壁でも書きましたが、日本人が海外で生活しているとどうしても埋められないギャップに遭遇することが多々あります。育った環境だけではなく、DNAに書き込まれた遺伝的なこともあるように思います。

農耕民族

日本人が家畜を飼育し、牛や豚などの動物を食べるようになったのは明治以降でしょう。生類憐れみの令が根強く生きていたのかどうかは分かりませんが、動物を殺して食べるということに少なからず抵抗があったことは容易に推測できます。高々百年あまり前なので、それまで何千年も培ってきた農耕文化はそう簡単に変更できません。そのため、日本では屠殺現場はタブー視され、食材として加工された肉しか庶民の目には触れないような仕組みが出来上がっています。

それが良いことなのか悪いことなのか分かりませんが、西洋の肉を食べる文化の良いとこ取りだけをしている風にも見えます。

日本には「いただきます」という素晴らしい言葉と料理に手を合わせて感謝を伝える文化があります。いつから使われている言葉なのかわかりませんが、少なくとも江戸時代はあったでしょう。食材になり、犠牲となった生き物たちに対する感謝、運んだ人、調理した人など、お膳に出てくるまでに関わった生き物と人々に対する感謝の言葉です。
動物にしても植物にしても、食材にするためにはそれらを殺して食べていることに他なりません。それら動植物に感謝することは大変美しい文化です。

海外で生活して、一番驚いたのが、この「いただきます」という文化がないことです。アメリカにもヨーロッパにもありませんでした。パーティーなどでも、三々五々人が集まって、目の前に食事や飲み物があれば、そのまま躊躇なく何も言わずに食べたり飲んだりはじめます。

全員集まってから、皆で一斉に「いただきます」と言ってから食べるという文化で育ってきたので、西洋人の食事のはじめ方は大変奇異に見えました。人を招待したりしても、料理を出すと「おいしそー」とか言ってそのまま食べ始めます。最初は何だか相手に失礼のように見え、ひどく違和感を感じたのですが、それが普通であり、彼らの文化なのです。

長年彼らと過ごしていると、逆に皆で集まって一斉に「いただきます」と言ってから食べ始めるのも奇妙に見えてくるから不思議です。誰かが号令をかけるまで全員食べてはいけないという習慣は日本だけなのかもしれません。個と集団の考え方の違いもあるでしょうし、宗教もからんでくるのかもしれません。

しかし、自分が料理を始めると食材に対する感謝の気持ちは復活します。スーパーで買い物をしていても、魚にしても肉にしても、数日前までは幸せに生きていた動物たちで、我々のために犠牲になっているのだと強く感じるようになってきました。したがって、一番罪なことは、食材を無駄にすることです。殺されて食材になって売れなくて廃棄されることはあってはならないことです。
食材に対する感謝の気持ちは忘れないようにしています。

狩猟民族

一方で、狩猟民族は動物を殺して食べるということを何千年も続けているので、それが当たり前の文化です。だからと言って欧米人が全員動物の犠牲に感謝していないわけではないとは思いますが、この100年くらいで肉を食べはじめた日本人の文化と、何千年も当たり前のように動物を殺して肉を食べて来た欧米諸国の文化は明らかに異なります。

骨に対する感覚があまりに異なり、文化のギャップを感じたことは以前書きましたが、草食に近い農耕民族とほぼ肉食の狩猟民族の文化の違いも相当なギャップがあります。簡単な分かりやすい例として、壁に掛けられた動物の首があります。日本人で壁に鹿の首を飾っている人は極めて稀でしょう。少なくとも日本国内では見たことがありません。しかし、ヨーロッパでは普通にあります。様々な国を周ると、昔の宮殿とかお城が博物館になっていますが、そんなところには必ずと言って良いほど動物の首が自慢の戦利品のように飾られています。われわれ農耕民族からすると悪趣味としか思えないのですが、よく目にする光景です。動物の頭蓋骨が壁に掛けられていることもありますし、剥製が置いてあることもあります。言ってみれば動物の死体、もしくはミイラを喜んで飾っていることになります。これはなかなか理解できませんでした。
日本でしたら、さしずめ魚拓を飾ることに匹敵するのでしょうか。しかし、魚拓はコピーであり、写真がなかった時代の記録にすぎません、剥製とはレベルが異なります。

闘牛は近年禁止になったそうですが、つい最近まで観客を集めて、目の前で怒らせて突進してくる牛をマタドールが華麗によけ、剣を刺して行って観客の前で徐々に殺すというショーが行われていました。ローマの時代は人と動物、あるいは人間同士のデスマッチをさせて、それを娯楽として観戦するという文化がありました。そういった文化は、何千年もの歳月をかけて培われたものであるし、宗教や民族などが複雑に絡み合ってできたものなのでしょう。理解はできませんが、むげに否定することもできません。単に文化の違いなのです。

屠殺動画

小学6年生の時、衝撃的な授業を受けます。ウィーンのアメリカンスクールですが、クラス全員集められて、牛、豚、鶏などの家畜が殺されてから食材になるまでを追った記録動画です。運ばれてきた牛が電気接点に接触して倒れ、解体されて食肉に加工される工程をつつみ隠さず克明に記録された動画です。さらに実際に屠殺場の見学まで行いました。

ほとんどが肉食文化の子供たちですが、もちろん泣き出す子もいれば、気分を害して映像を見ない子もいました。でもそんなことはお構いなしに授業は進められました。見学に行ったのは鶏の屠殺場でしたが、さっきまで生きていた鶏が次々とフックに引っ掛けられ、工場内を移動して行き、電気で殺して羽をむしる装置を通過するともうほとんど肉屋さんで売っている丸ごとの鶏肉になっています。最後に両側から炎が出ている装置を通過して出来上がりです。最後に軽く火であぶる工程は調理ではなく、機械で取り損ねた細かい羽を焼くためだと説明を受けました。

隠したり曖昧にするのではなく、真実を伝えなければならないという気迫がこもった教育方針が感じられました。

狩猟民族の子供たちでも、やはりこの授業はショックだったようで、しばらく肉が食べられなくなる子もいました。しかし、そこはさすが子供です。腹は減るので、数日するとカフェテリアでウィンナーシュニッツェルを頬張っていました。肉食文化なので、肉を食べざるを得ないのです。1週間もすると皆通常に戻っていました。

しかし、私たちの中で何かが変わりました。今目の前にある料理の食材は、生きていたあの牛や豚、鶏が犠牲となってわれわれの栄養になっているのだということを知っています。死を無駄にしてはいけないという感情が芽生えるのです。あまりに衝撃的な授業だったので、おそらく、あの授業を受けた同級生たちは皆一生忘れないでしょう。私も50年以上昔の話しですが、鮮明に覚えています。

当時は何でこんなひどい映像を見せるんだと憤りを感じましたが、今思うと素晴らしい教育だったのではないかと思い直しています。スーパーに並んだきれいに成形された食材しか見ないで育ったら犠牲になった動物たちのことなんか考えなかったかもしれません。

それからは肉が固いとか、まずいとか、食材に対する文句は言わなくなります。残したり、食材が無駄になることは徹底してしなくなります。これは極めて効果的な教育だと思いました。

日本では未だに屠殺シーンはタブーでしょう。そんなものを小学生に見せたら親御さんのクレーム電話が鳴りやまなくなると思います。最近はますます隠蔽され、魚でさえ家庭で解体されることはないでしょう。切り身になっていたり、小さい魚はすでに内蔵は取り出され、開いた状態で売られていて、後は調理するだけです。
鮭の全体像を知らず、切り身の形しか見たことがないので、切り身の形のものが海を泳いでいると思っている子供もいるようです。牛を見て「でけー犬!」と言って驚いたり、鶏の絵を描かせると足を4本描いたりするという話を聞いて驚いています。

欧米諸国のように、すべてオープンにして、屠殺から食肉への加工工程をすべて見せる教育が良いのか、日本のように隠蔽して食材になった後だけを見せる方が良いのか、正直良く分かりません。
しかし、少なくともわれわれが口に入れている食材はすべて動植物が犠牲になった結果つくられているものであることは、明確に認識させるべきでしょう。
「いただきます」は単なる風習で言っている言葉ではなく、我々のために犠牲になった動植物に対する感謝の言葉であることを知ってもらいたいのです。

日本は現在飽食の時代で、年間2531万トンの食品が廃棄されています(平成30年現在)。1日に換算すると約7万トンです。人の欲によって犠牲になった動物や植物が、売れなかったとか、作り過ぎて余ったという理由だけで捨てられているのです。「もったいない」という日本語が世界で認められながら、その裏で大量の食品が捨てられています。これは由々しき問題です。

さすがに屠殺場見学は日本ではまだまだ受け入れられないでしょうが、食材になる動物たちの生きている姿を見ることは大切なことだと思います。ウシもブタもニワトリも、きちんと目を合わせて、できれば触れ合って、いつか犠牲になって私たちの食卓に上がることを認識するべきだと思います。魚だって釣をして生きた魚を見るべきです。植物も米を作ったり、野菜を作ったりしてみるべきです。それがどんなに大変かを知るべきです。

そうすることによって、礼儀とかしつけや習慣で言うのではなく、本当の意味で心の底から「いただきます」という言葉がでてくると思うのです。

著者
Yama

大学卒業後しばらくは建築設計に従事。その後人工知能の研究所で知的CADシステムやエキスパートシステムを開発。15年ほどプログラマをしていましたが、管理職になるのが嫌で退職。現在は某大学の非常勤講師(情報学)、動物医療系および野鳥写真家、ウェブプログラマ、出版業などをしながら細々と暮らしています。

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