アメリカのコイン:レアなペニーとハーフダラー

ペニー、ニクル、ダイム、クォーター、ハーフダラー、ダラー。それぞれアメリカの1セント、5セント、10セント、25セント、50セント、1ドルコインの愛称です。小学3年生でしたがアメリカに行く前からコインコレクターだったので、アメリカのコインも当然集めました。年代によって微妙にデザインが異なったり、材質が異なっていたりします。そういったレアなコインが対象です。

中でも思い出深いのが、1943年製のペニーと1964年製のハーフダラー硬貨です。

珍しいペニーとハーフダラー硬貨が存在することを教えてくれたのは近所のジュエルシティーというスーパーのオヤジでした。1ブロック先の角にあったお店だったので、毎日のように家族で利用していました。アメリカ特有のいわゆるGrocery store というタイプのお店で、小さくても肉、野菜、果物、飲み物、パンなど、日用品が一通りなんでも揃う便利なお店です。

何がきっかけだったか忘れましたが、店主のオヤジは私がコイン好きだと聞いて、レジの通常のお釣り用の場所とは別に大切そうにしまってあった1943年の鉄製ペニーと、1964年製のハーフダラー硬貨を見せてくれました。一目惚れです。
戦争中は銅が不足したから鉄で1セントを作った話や、ケネディが暗殺されて翌年ケネディをモチーフにしたハーフダラー銀貨を作った話をしてくれました。そのオヤジもコインフリークだったのでしょう。話を聞いて、めちゃくちゃ欲しくなりました。小学生なので、お金なんか持っていなかったので「欲しい」と言っても当然「ノー」でした。大切にしている珍しいコインだからあげない、と、断られました。断られると余計に欲しくなるものです。事ある毎に「そのコインちょうだい」と言い続け、毎回「ノー」と言われるやり取りがそのオヤジとの定番の会話になっていました。そうやって自分の中で憧れのペニーとハーフダラーコインになっていきます。

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1943年のペニー

ペニーは本来、銅95%の青銅で作られていました。1943年と言うと、ちょうど第二次世界大戦の真っ只中で、超大国のアメリカと言えども薬莢や銃弾を作るための銅が不足し、1943年だけペニーが亜鉛メッキされた鉄で作られました。

アメリカに住んでいた1960年代から1970年代はまだインターネットもなく、コインの情報は人づてや本からしか得られません。インターネットが普及してネット上の取引などが普通となっている現在の方が適正な価格になっていると思いますが、当時はこの1943年の鉄製のペニーは大変貴重なコインと信じられていました。しかし、製造数も比較的多かったようで、現在は日本でも数百円から千円前後で取引されています。超レアものではありませんが、額面1セントのものが数百円で取引されているので、少なくとも数百倍になっているのは事実です。

1943年のペニーは、この鉄製のコインではなく、実は本来世に出るはずではなかった青銅製のペニーが激レアコインで、世の中に20枚ほどしかないと言われています。オークションなどで1枚1億円以上で取引されるほどの価値があります。

当時はそんなことはつゆ知らず、1943年の鉄製ペニーが欲しくてたまりませんでした。見た目の色が違うので、流通することはなく、お釣りなどに混ざっていることもありません。

1964年のケネディコイン

アメリカに行って、まずすべての通貨を集めましたが、一般に流通しているのは、ペニー、ニクル、ダイムとクォーターだけです。ハーフダラー、ダラーの硬貨もありますが、どちらかと言うと記念コイン的な存在で、普段買い物をするときに使われる通貨ではありません。

しかし、ハーフダラー、ダラー硬貨をはじめて見た時、衝撃を受けました。日本では考えられない大きさと重さだったからです。ハーフダラーは今では額面50円前後、1970年頃は1ドル360円でしたから、180円程度の通貨です。アメリカに行って、何でもかんでも大きいので驚きましたが、ハーフダラーやダラーコインを手にした時も「さすがアメリカだ」と感じました。特にハーフダラー硬貨はできたばかりでデザインも美しく、コレクションに最適です。

渡米したのが1969年でしたので、ジョン・F・ケネディが凶弾に倒れて5年ちょっと経ったころです。ケネディの肖像をデザインしたハーフダラーコインは1964年から製造が開始されました。

事件は未だに未解決ですし、1969年当時のアメリカ人にはまだ大統領暗殺の衝撃が強く残っていたのでしょう。テレビなどでも頻繁に放送されていましたので、ケネディの存在と悲劇は小学生だった自分にも映像とともに強烈に印象に残っています。

在任中にケネディが宣言した「10年以内にアメリカは人間を月に送り、無事帰還させる」という言葉を実現するために、まるで弔い合戦のように躍起になってアポロ計画も進めていた時代です。アメリカ人にとってのケネディの存在の大きさをひしひしと感じました。そして、宣言通り、1969年7月21日、アームストロング船長は月面に降り立ちます。1969年はそんな時代でした。

ハーフダラーは大変存在感があるコインです。カジノのチップとしてもよく使われているそうですが、大きさといい、重みといい、ただ者ではない雰囲気を醸し出しています。たまに流通しているハーフダラーはすぐに私のコインコレクションの対象となりました。

例のジュエルシティのオヤジからは、ハーフダラーは1964年製でないと価値がないと教わりました。ジョン・F・ケネディは1963年の11月に暗殺され、彼の死を偲んで1964年から発行がはじまったコインです。採算を度外視して作られたのか、1964年製のみ銀貨だと言うのです。
「ほら、色が全然違うだろ」と見せてくれた1964年製と1969年製のハーフダラーは明らかに色が違い、1964年製は銀特有の渋い輝きがあり、子供にも分かる違いでした。さらに指ではじいたときの音の違いも聞かせてくれました。明らかに異なりました。子供相手にとことん自慢してきます。ますますなんとかして手に入れたいと思うようになりました。

帰国

それから3年ほど経ち、父の仕事の関係で一度日本に帰り、今度はオーストリアのウィーンに引っ越しすることになりました。今までお世話になったジュエルシティーのオヤジに「日本に帰る」と最後の挨拶をしにいった時、手を出せと言われて手を出したら何かを握らされました。それは、なんと彼が大切にしていた1943年製ペニーと1964年製ハーフダラーでした。絶対にくれないものだと思っていたので、感動しました。それが現在所有する思い出の1943年のペニーと1964年製ハーフダラーです。

撮影してみると、ペニーは硬貨の製造技術としてはかなりいい加減な作りで、決してきれいなものではありません。日本の型やプレスの技術、さらに検査技術の方が遥かに上だと思いますが、逆にアメリカという国のおおらかさを表しているような気がします。
1964年のケネディハーフダラーコインは、50年以上経った今でも銀特有の光を放っています。調べて見ると、1964年製のみ銀の含有率が90%であり、翌1965年からは銀40%に落とされています。ジュエルシティーのオヤジが言っていたことは正しかったのです。1971年からは銀は使われず、銅とニッケル合金になってしまいます。1964年製のハーフダラーのみ、現在は額面の20倍以上の価格で取引されていますが、額面が50円程度なので、せいぜい1000円前後です。

市場ではそれほど価値があるコインではないのでしょうが、私にとってはかけがえのない思い出のコインなのです。

著者
Yama

大学卒業後しばらくは建築設計に従事。その後人工知能の研究所で知的CADシステムやエキスパートシステムを開発。15年ほどプログラマをしていましたが、管理職になるのが嫌で退職。現在は某大学の非常勤講師(情報学)、動物医療系および野鳥写真家、ウェブプログラマ、出版業などをしながら細々と暮らしています。

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