理科年表

座右の書は、と聞かれたら「理科年表」ですと答えます。出会ったのは中学生の頃です。天文少年だったので、天文年間を毎年買っていて、書店にいつも近くに理科年表が売っていました。手に取ってみて目から鱗です。以来、理科年表が私のバイブルです。

1980年からキリの良い10年毎に買っています。もう隅から隅まで眺めまくります。こんなに素晴らしい本は他にないと思うのですが、周りの人は理解してくれません。時には頭おかしんじゃないのと笑われます。何で分かってもらえないのでしょう。きっと100人に1人くらい分かってくれる人がいるのではないかと信じています。このページを読んでいただいているあなたはその一人なのではないでしょうか。おお同士よ!

物理量の定義とかもう暗記するほど何度も見ています。
1秒って何でしょう。どのくらいの時間でしょう。いつ、誰がどう決めたのでしょう。気になりませんか。
1mの定義は。誰がどう決めた長さなのでしょうか。知りたいですよね。私からするとそういうことを知らずに平気で使っていることのほうがおかしいと思っています。
秒やメートルの定義を知らずして、シャッター速度1/200秒だとか、焦点距離500mmなどという言葉を使ってはいけないのです。物心ついた小学生に1秒って何、とか、1mってどうやって決めているの、と聞かれたら説明できますか。ある日偶然宇宙人に出会って、時間の単位や長さの単位を説明できますか。

自分なら明確に説明できます。もう40年以上も理科年表を眺めていますから。

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度量

日常的に様々な単位を使っていますが、それがどうやってできたのか、また、現在はどのように定義されているのかも知らずに使っている人がほとんどでしょう。それは由々しき問題です。少なくともMKS単位と言われているメートル、キログラム、秒の生い立ちや定義くらい知っていたいものです。
国や場所によって、もしくは時代によって長さや重さ、時間が変わってはいけないので、国際度量衡総会( CGPM:Conference General des Poides et Mesures )が国際的な基本単位系SIの定義などを策定しています。フランスが早くから国際的な度量統一の重要性に気づいて世界にはたらきかけているので、本部はフランスにあり、名称もフランス語、定例会議もフランスで行われています。各種原器もフランスにあります。
最近の動きは、すべての物理量の定義を永久不変なものに再定義しなおす試みがなされています。

時間

まず最初の定義は時間です。時間の単位の基本は秒です。
昔は、例えば春分から次の春分までを1年として、その365分の1を1日として、その24分の1を1時間として、その60分の1が1分で、その60分の1が1秒でした。
しかし、地球の公転や自転は一定ではなく、そんなアバウトな定義では不都合が生じてしまいます。
1967年から1秒は、「133Cs(セシウム133)原子の基底状態の2つの超微細順位(F=4, M=0およびF=3, M=0)の間の遷移に対応する放射の9,192,631,770周期の継続時間」と定義されています。
量子論とかをかじっている人以外は、何を言っているのか分かりませんよね。

世の中の原子は原子核とその周りに雲のように存在している電子があります。昔の原子のモデルのように、原子核の周りに電子が回っているイメージでもここでは大丈夫です。電子は波なのでその軌道は連続無段階ではなく、波長の整数倍の飛び飛びの軌道にしか移動できません。原子に電磁波などのエネルギーを与えると、じわじわ軌道が変わるのではなく、ある一定のエネルギーを超えると電子の軌道がポンっと一つ上の軌道に遷移します。エネルギーを得た原子は不安定なので、電子は元の軌道に戻ろうとします。その際、同じエネルギーを放出して元の軌道に戻ります。エネルギーの放出は電磁波、つまり光の仲間の放出で行われます。この基底状態から一つエネルギー順位が上がる間隔は原子によって異なりますが、同じ原子であれば常に一定で、永久不変です。
セシウムは自然界に同位体がないことと、放射する電磁波が可視光に近い赤外線で扱いやすいことから選ばれました。放射される電磁波も波ですから、その 9,192,631,770 周期を1秒と定義したわけです。元からあった天文学から導き出した1秒に限りなく近づけるようにこの数字は決められました。これで永久不変な定義になりました。これを1秒と定義したので、 133Cs が放射する電磁波は、正確に9,192,631,770 Hzです。それが定義ですから。
ちょっと乱暴な説明ですが、概ねそんな感じです。

これで秒(s)が厳密に定義されました。その他の度量の定義は時間が関係しているので、秒が定まっていないとなにもはじまりません。これでようやく他の度量の定義を厳密に定義できるようになりました。

地球の運動から導き出された秒が、現在は永久不変の原子を使った定義に変わりました。そうすると今度は地球の運動と時間が合わなくなってきます。昔はうるう年で1日調整するだけで概ね問題はなかったのですが、現在は微調整するために1972年からうるう秒が導入されています。

長さ

元は、子午線1周の4千万分の1、もしくは、子午線の北極から赤道までの1千万分の1を1mとして決めました。それがだいたいわれわれが目にする1mの長さのイメージです。適度な長さで人間のスケールからして程よく扱いやすい大きさだったから、いいじゃんこれ、と思われて普及したのでしょう。
ところが、北極から赤道までの距離を正確に測るなんて不可能です。「だいたいこのくらい」では使えません。そこで 1875年にメートル条約が締結され、国際度量衡委員会がメートル原器の製作を開始しました。 それから10年以上の歳月をかけて試行錯誤の末、白金90%、イリジウム10%の純粋な合金地金で完成します。1889年の 第1回国際度量衡総会において承認され、国際メートル原器が誕生します。メートル原器は現在もパリの国際度量衡局に保管されています。メートル条約に加盟している国には、メートル原器の複製が配られ、それを1mと定義しています。

科博のメートル原器(レプリカ)

しかし、あらゆる物質は経時的に必ず変化するので、メートル原器は永久不変である保証はありません。科学の進歩とともに、マイクロメートル、ナノメートルという単位を扱うようになるとメートル原器による定義では曖昧になってきてしまいます。そこで次に考えられたのが、86Kr(クリプトン86)が真空中で発する光の波長の1650763.73倍を1mと定義しました。それが1960年です。しかし、クリプトン86を使った測定は再現性が悪く、この定義はあまり長続きはしません。

20世紀はアインシュタインの相対性理論の発表と理解が進み、光速度不変の法則が実証実験でも確かめられたため、光速度を基準に定義をする動きがはじまります。レーザー光の安定供給や光速度の測定精度が飛躍的に向上したため、1985年には「真空中を光が1/299 792 458秒で進む距離」を1mと定義しました。光速度はいかなる移動速度、移動方向でも変化がないので、この定義は永久不変な定義になり、現在もこの定義が使われています。メートルの定義に秒が使われているのがわかります。そのためにも秒の厳格な定義が必要だったわけです。
逆に、光速度も299 792 458 m/s(秒速2億9979万2458メートル)に固定されました。技術が進歩して、測定しなおしたらちょっと違っていました、などということは今後絶対にありません。それが定義ですから。
1秒が厳密に定義されたお陰で、1mもこのように永久不変の絶対量として定義することができるようになりました。

現在の1mの定義

質量

科博のキログラム原器(レプリカ)

kgの定義が一番の問題でした。古くは10cm立方(1リットル)の水の重さと定義されましたが、水は温度によって体積が変わりますし、重さは質量と異なり、その場所の重力加速度や気圧などによっても変動するため、升に入れた水の重さを厳密に測定することは困難です。そのため、1799年にアルシーヴ原器と呼ばれる白金(プラチナ)製の原器が作られます。それから90年ほど経過し、1875年にメートル条約ができ、1889年にアルシーヴ原器と同質量の国際キログラム原器が白金90%、イリジウム10%の合金で作られます。国際キログラム原器の複製はメートル条約に加盟している国々に配られ、国際的にそれが1kgの定義となりました。

しかし、130年前はともかく、科学の進歩とともにマイクログラム、ナノグラムなど、微細な質量を扱うようになるとキログラム原器のような人工物による定義では曖昧さが回避できなくなります。原器は2重の真空容器に保管されていますが、完全な真空を作るのは不可能なため、何らかの粒子が不着する可能性は否めませんし、測定するたびに削れたり粒子が不着する可能性があります。火災で焼失する可能性もありますし、戦争で失われてしまう可能性もあります。1kgのプラチナとイリジウムの合金ですから、泥棒に盗まれる可能性だってあります。それで質量の定義が失われてしまうなどということがあってはならないので、質量に関しても永久不変な定義が求められていました。実際、日本には厳密に同質量にしたものを他に6個作って厳重に保管していましたが、130年後には50マイクログラムのばらつきが生じています。それだけ不安定だということです。
しかし、約130年間、様々な案が検討されましたが決定打がなく、質量に関してのみ人工物であるキログラム原器が使い続けられました。

そしてようやく2019年5月に、

キログラムはプランク定数の値を正確に 6.626 070 15×10-34 ジュール・秒(Js、これはまた m2 kg s-1 とも表せる)と定めることによって設定される

と、約130年ぶりに定義が変更になります。
しかし、一般の人には何を言っているのか分からないでしょう。私も良く分かりません。プランクさんは20世紀の初頭に活躍した物理学者ですが、量子仮説で有名です。世の中のエネルギーは連続無段階なものではなく、離散的にとびとびになることを様々な実験結果から提唱した人です。現在の量子力学の元を作った人と言っても過言ではありません。アインシュタインはプランクの量子仮説を元に光量子仮説を提唱し、光も連続したものではなく、光子というエネルギー単位で存在するとしたものです。
プランク定数とは、電磁波が持つエネルギーは E=hν(ν:ギリシャ文字のニュー:電磁波の周波数)で表せ、その時のhがプランク定数です。それを 6.626 070 15×10-34 と定義することによって1kgの質量が決まるということですが、秒や長さの定義と比べるとすっきりしません。相対性理論によって、エネルギーと質量が等式で表せるので、エネルギー量から質量を導き出せるということなのでしょう。難解ですが、2019年からこのような質量の定義に変更され、2020年の理科年表の質量の定義はこのように書き換わっています。ちなみに、2010年の理科年表の質量の定義は、

キログラム(kilogram, kg)は質量の単位であり、国際キログラム原器の質量に等しい。

理科年表2010

と書かれています。キログラムのみ何とも古めかしい、アバウトな定義です。キログラム原器はようやくお役御免になりましたが、歴史的には重要なものなので、フランスで永久保存されることでしょう。上野の国立科学博物館にレプリカが展示されています。

g(グラム)ではなく、何でkg(キログラム)なの、と疑問に思う人も多いと思います。gは軽すぎるため、定義には使いにくいとか、様々な言われがあります。1kgの重さを別の名前の単位にしよう、などといった意見も出たようですが、慣例的に使われていたkgの名称から脱することができず、現在もgではなく、kgを基準として定義されています。
ちなみに、キログラムはkgと、kもgも小文字で書く決まりになっています。km、kBなども同様に単位の接頭語としてのkは、温度の単位K(ケルビン)と区別するために、小文字となっています。M(メガ)、G(ギガ)など、大きいものを表す接頭語は基本的には大文字なのですが、k(キロ)のみ例外です。


と、このように、理科年表にはその時点で決められているあらゆる度量の定義が掲載されています。その他にも、電流のアンペア、温度のケルビン、物質量のモル、光度のカンデラなどの定義も厳密に行われています。
19世紀、20世紀には科学が飛躍的に進歩したため、度量の定義もころころと変わって来ています。理科年表でその歴史をたどるのも楽しいものです。すべてが永久不変の定義に書き換わってしまうと、さらなる動きはあまりなくなってくるのでしょう。この50年ほどは、20世紀から21世紀にかけて激動の最も面白い時代だったのかもしれません。

上記度量の定義は、物理の部の冒頭数ページに載っている内容です。数ページだけでも理科年表はこんなに楽しめます。

一家に一冊理科年表

おすすめします。

こういう話は、興奮していくら人に話しても普通は「だから?」とか「で?」という反応です。残念。

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理科年表 ポケット版と机上版が販売されています。
ポケット版と言ってもとてもA6サイズで1162ページもあるので、とてもポケットに入る代物ではありません。呼称がそうなっているだけです。
机上版はA5サイズで、卓上で使うにはこちらをおすすめします。とくに私なんかの場合は老眼になってきて細かい字が読みづらくなっています。そんな人にも机上版がイチオシです。
旧人類なので、やはり紙です。使い慣れていると、目的のページがぱっとひらきます。
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著者
Yama

大学卒業後しばらくは建築設計に従事。その後人工知能の研究所で知的CADシステムやエキスパートシステムを開発。15年ほどプログラマをしていましたが、管理職になるのが嫌で退職。現在は某大学の非常勤講師(情報学)、動物医療系および野鳥写真家、ウェブプログラマ、出版業などをしながら細々と暮らしています。

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