アッベが顕微鏡の光学理論を作り上げてから120年ほど有限遠補正光学の歴史が続きましたが、1990年代から各顕微鏡メーカーは無限遠補正光学系のシステムに切り替えて行くことになります。それまでは対物レンズのマウント面から接眼レンズの座面までの機械的鏡筒長が160㎜(メーカーによっては170㎜)の有限遠補正光学系対物レンズだったものが、対物レンズ単体では焦点を結ばない方式になりました。これは対物レンズと結像レンズの間に落射照明装置や蛍光フィルターなど様々な装置を組み込んでも影響が出ないというメリットがあります。
よく勘違いされますが、無限遠補正光学系の方が光学的に優れているわけではありません。確かに新しく発売されたものは硝材やコーティング技術の進歩によってより良いものが開発されますが、よくできた有限遠補正光学系の対物レンズは最新のレンズに勝るとも劣らない性能を発揮します。特にあらゆる収差を高次元で除去した有限遠補正光学系最後に作られたプランアポクロマートクラスの対物レンズは人類の英知の結晶であり、数十年前に発売されたものでも、同価格でこの性能を超えるものはなかなか作られません。
しかし、残念ながら各メーカーとも有限遠補正光学系の対物レンズの製造は終了してしまいました。これからはすべて無限遠補正光学系の対物レンズになります。
今回はこの無限遠補正光学系対物レンズを使用した超マクロ撮影を試みました。
「有限遠補正光学」という名称は「無限遠補正光学」が登場する前は聞いたことがなかった言葉です。以前の顕微鏡は対物レンズで1次像を結像する仕組みだったので、機械的鏡筒長160mmなどといった表現しかしていなかったと思います。有限遠補正光学系という名称は、無限遠補正光学系のレンズが登場した後に対応して作られた言葉ではないでしょうか。「有限遠」という表現もいささか奇異に感じますし、「補正」という言葉が必要なのかも疑問ですが、オリンパスのウェブサイトで「有限遠補正光学系」という言葉を使用しているので、それにならっています。
現行のレンズは確かに焦点が無限遠になるように補正しているので「無限遠補正光学系」は的確な名称だと思いますが、昔の機械的鏡筒長160mmの対物レンズは、個人的には「有限焦点光学系」もしくは単純に「有限光学系」などと呼んだ方が適切ではないかと思っています。焦点距離は高々150mm(160-10mm)の距離なので、少なくとも「有限遠」の「遠」はなくても良いのではないでしょうか。
超マクロ撮影
一般的なカメラのレンズでの拡大撮影は、「等倍」が最高倍率です。等倍とは被写体の大きさがそのままセンサーに投影されることで、1mmのものがセンサー上に1mmで写るということです。通常の単焦点マクロレンズでは焦点距離にかかわらず等倍撮影まで対応しているものが多いでしょう。一般的には等倍撮影までできれば問題ないのでしょうが、私のように医療現場で特殊な撮影を強いられる場合は、普通のマクロレンズでは拡大率が足りないことがあります。例えば摘出物の割面の拡大撮影、診察中にダニやノミが検出された場合など、急遽超マクロ撮影を依頼されることがあります。
顕微鏡対物レンズの応用:有限遠補正光学系の場合(旧タイプ)
等倍を超えるマクロ撮影のために、今までは有限遠補正光学系の対物レンズを使用していました。機械的鏡筒長が160mmの設計であれば、カメラのセンサーから150mm離して対物レンズを設置すれば、その対物レンズの倍率で結像します。
機械的鏡筒長はRMSの座面から接眼レンズの座面です。接眼レンズの座面は、接眼レンズを挿入する筒の接眼レンズ側の端です。
対物レンズの1次像は、接眼レンズの座面から10mm対物レンズ側に寄った位置に結像し、複式顕微鏡はその1次像を接眼レンズで拡大して見ることになります。したがって、機械的鏡筒長160mm用に設計された対物レンズは、RMSのマウント座面から150mmの位置に1次像ができるように設計されているということになります。
市販の部品の組み合わせで機械的鏡筒長160mmのレンズ用にRMS座面からセンサーまでの距離を150mmにする装置を作れます。一度撮影装置を作ってしまえば、有限遠補正光学系の2倍、4倍、10倍などの対物レンズに付け替えれば、それぞれの倍率の撮影が可能です。
顕微鏡対物レンズの応用:無限遠補正光学系の場合(現行タイプ)
無限遠補正光学系対物レンズの場合、レンズ単体では結像しません(実際は結像しますが本来の性能は出ません)。設計上の位置に被写体を置くと対物レンズの後ろは平行光線になります。遠くの星と同じです。顕微鏡では、無限遠補正光学系の対物レンズは接眼レンズの先にある結像レンズによって結像し、それを接眼レンズで拡大して観察します。
それならば無限遠補正光学系の対物レンズを通常のカメラレンズの前面に取り付けて、カメラレンズのピント位置を無限遠にすれば対物レンズの1次像は写るはずです。顕微鏡の結像レンズの焦点距離はメーカーによって異なり、オリンパスは180mm、ニコンは200mmを採用しています。したがって、200mm前後の通常の望遠レンズを結像レンズとして使用し、フォーカスを無限遠にして実験しました。
材料
撮影するためには、顕微鏡対物レンズをカメラレンズ先端に取り付けます。顕微鏡対物レンズのマウント規格はRMSと呼ばれる特殊なネジです。それをレンズの標準規格であるフィルターの規格に変換する必要があります。
RMS→Tマウント変換
RMSは Royal Microscopical Society の略通り、昔のイギリス王室が決めたマウント規格なので、インチスケールです。4/5インチ、ピッチ1/36インチという規格で、メートル法に直すと直径20.32mm、ピッチ0.706mmというひどく特殊な寸法になります。
まずはこのRMSをメートル法のネジに変換するアダプターが必要です。一般的にはRMSからTマウント規格に変換するアダプタが市販されています。Tマウントはタムロンが作ったマウント規格で、直径42mm、ピッチ0.75mmです。これは42mmのフィルターと同じ規格です。同じ42mmのマウントで、プラクチカマウントと呼ばれるものがありますが、そちらはピッチが1mmなので一般的なフィルターのネジ規格と会いません。購入時には注意が必要です。
しかし、メーカーによってTマウントのことをM42と表記したり、プラクチカマウントをM42 と表記する場合もあるので、判断に迷うことがあります。径とネジピッチが明記されていれば問題ありませんが、径は書かれていてもネジピッチが明記されていないものが多く、42mm径のマウントは難しい問題をかかえています。最悪、42mm径ネジピッチ1mmをネジピッチ0.75mmに変換するアダプターも市販されていますが、余計な部品が増えてしまうので避けたいところです。
プラクチカマウントとも呼ばれるM42スクリューマウントは、1949年に発売となったプラクチカFXのマウントがデファクトスタンダードとなり、世界中のカメラメーカーが採用したカメラにレンズを接合させるためのマウント規格です。直径42㎜、ネジピッチ1㎜です。この規格で作られているオールドレンズが数多く存在するため、カメラボディのマウント変換アダプタとして用意されている42㎜径のスクリューマウントはこちらのピッチ1㎜のものが多いでしょう。
Tマウントは1957年にタムロンが当初はボディとレンズを接合するマウントとして開発したものですが、現在は様々なアダプターとして汎用的に使える規格となっています。多くのメーカーがTマウントの部品を作っているので、一度Tマウントに変換してしまえば、さまざまな応用が効くようになります。
カメラレンズの先端に取り付ける場合はフィルターネジの規格に合わせる必要があるので、ピッチが0.75mmのTマウント規格でないと合いません。
一度フィルター規格に合わせてしまえば、使用レンズのフィルター径に応じてステップアップやステップダウンリングを組み合わせるだけでレンズ先端中央にRMS規格の対物レンズを配置することができます。
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M42からRMS |
顕微鏡対物レンズのRMSマウントをTマウントに変換するアダプター。 M42と書かれていますが、ポイントは径が42mmでネジピッチが0.75mmのTマウント規格であることです。同じ42mm径でもネジピッチが1mmのプラクチカマウントもあるのでご注意ください。 |
変換リング
無限遠補正光学系レンズなので、設置距離は関係なく、単純にカメラレンズの中央に配置できればこと足ります。しかし、無駄にかさ張るだけなので、できるだけ薄いステップダウンリングやステップアップリングを組み合わせてカメラレンズ先端の側近に対物レンズを配置します。
口径変換リングは、カメラ側からの呼称が一般的で、ステップアップ(ダウン)〇〇-□□mmなどと呼ばれています。例えばカメラレンズのフィルター径が52mmでそれを62mmに変換する場合はステップアップ52-62mm、52mmから42mmに変換する場合はステップダウン52-42mmなどと呼ばれます。カメラ側がオネジ、反対側がメネジに統一されています。
汎用径・汎用マウント
所有しているレンズで200mm前後をカバーする焦点距離のレンズのフィルター径を調べたところ、52mm、58mm、62mm、77mmでした。42mmのフィルター径は一般的ではないため、ステップダウンリングの種類があまりありません。そのため、52mmを汎用径としてステップダウンリング52mm-42mmにTマウント(M42ピッチ0.75)-RMSアダプタを取り付けたものを固定して52mm-RMS汎用マウントとして使うことにしました。
ステップダウンリングは、あまり差が大きいものは販売されていませんが、52mmを汎用径とすると、上記所有レンズのフィルター径はすべて対応できます。
77-62、62-58、58-52の組み合わせにする方法もありますが、扱いが煩雑になるので、すべて1枚で52mmに変換するステップダウンリングにしました。
フィルター径 | アダプター | 汎用マウント |
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40.5mm(Nikon1用) | ステップアップ40.5-52mm | 52mm-RMS汎用マウント (52-42mm+T-RMS) |
52mm | – | |
58mm | ステップダウン58-52mm | |
62mm | ステップダウン62-52mm | |
77mm | ステップダウン77-52mm |
このように52mmを共通径としてシステムを構築すると、52mmに変換するステップアップもしくはステップダウンリングを揃えるだけで様々なレンズ径に対応可能となります。
ステップアップ・ダウンリングは数百円のオーダーで買えるので、いろいろと試せます。
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52mm径のレンズはそのまま、その他は各レンズのフィルター径に応じて52mmに変換するステップアップもしくはステップダウンリングを用意するだけで汎用的に使えるようになります。
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【八仙堂】 ステップダウンリング (58→52mm) |
【八仙堂】 ステップダウンリング (62→52mm) |
【八仙堂】 ステップダウンリング (67→52mm) |
【八仙堂】 ステップダウンリング (72→52mm) |
【八仙堂】 ステップダウンリング (77→52mm) |
ステップアップリング 40.5mm→52mm |
【八仙堂】 ステップアップリング (46→52mm) |
対物レンズ
手持ちの無限遠補正対物レンズはRMSマウントのOlympus Plan 4xです。Olympus製なので、設計上の結像レンズの焦点距離の規格は180mmです。
なお、対物レンズは1倍、2倍、4倍、10倍、20倍、40倍、60倍、100倍が一般的ですが、カメラに取り付けて手持ちで撮影できるのは、4倍位まででしょう。頑張って10倍レンズまで使えるかもしれませんが、歩留まりは悪くなります。それ以上の倍率のレンズは被写界深度も極めて浅く、カメラに取り付けて撮影するのは極めて困難となりますので、おすすめはできません。4倍のプランアクロマート系対物レンズくらいが扱いやすいと思います。あまり高性能なプランアポクロマートレンズなどの開口数が大きいレンズは解像度が上がる一方、被写界深度が極めて浅くなるので、扱いはより難しくなります。
使用できるカメラレンズ
無限遠の平行光線を結像させるだけなので、マクロレンズなどの特殊なレンズである必要はなく、無限遠にピントが合う望遠レンズであれば使えそうです。拡大率は対物レンズの焦点距離と結像レンズの焦点距離の比になりますので、対物レンズメーカーの規格通りの焦点距離を使用するのが理にかなっているように思いますが、対物レンズの像のイメージサークルはそれほど大きくはないと思われますので、その調整が必要と思われます。
対物レンズ+結像レンズで得られる1次像のイメージサークルは、接眼レンズに固定されている絞り径から推測すると、おそらく直径18mm程度のものと思われます。
ニコンのFXフォーマットセンサーのサイズは36mm×24mm、対角は約43.3mmです。DXフォーマットセンサーのサイズは24mm×16mm、対角は28.8mmほどです。18mm程度と想定すると、DXの短編よりもちょっと大きい程度しかありません。
結像レンズの焦点距離は、設計値以外のものが使えないわけではなく、倍率が変わるだけのようなのですが、実際に撮影してみないとよくわかりません。
設計値以上の焦点距離のレンズを使うと、イメージサークルの中央部を切り出したような画像が得られます。
DXフォーマットで対物レンズのイメージサークルのケラレをなくすためには、オリンパスでは180mm以上の焦点距離のレンズを使うと良さそうです。対角28.8mmをカバーするためにはどのくらいの焦点距離が必要なのか、少し長めのズームレンズで試してみました。
本来はZマウントレンズを使いたいところですが、適切な焦点距離のZレンズは持ち合わせていません。焦点距離200mm前後をカバーする手持ちのFマウントレンズで使えそうなものは、
- AF Zoom-Micro ED 70-180mm F4.5-5.6D
- AF-P DX NIKKOR 70-300mm f/4.5-6.3G ED VR
くらいです。AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-200mm F2.8G(IF)、AF-S NIKKOR 200-500mm f/5.6E ED VRも使えるかもしれませんが、サイズが大きく、マクロ撮影用としては現実的ではありません。
より拡大したい場合は、CXフォーマットのNikon1システムを使うのも良いかもしれません。CXフォーマットのサイズは 13.2×8.8mm 、対角は16mmほどなので、イメージサークルに包含されます。回折などの影響で解像度はどうなるかわかりませんが、小型センサーにより拡大率はアップするでしょう。
Nikon1システムで所有しているレンズは、
- 1 NIKKOR VR 30-110mm f/3.8-5.6
- 1 NIKKOR VR 70-300mm f/4.5-5.6
です。テストしてみました。
倍率
無限遠補正光学系の場合、結像レンズ後の1次像の倍率は、
1次像の倍率=結像レンズの焦点距離÷対物レンズの焦点距離
となります。オリンパスの場合、設計上の結像レンズの焦点距離は180㎜ですから、4倍の対物レンズの焦点距離は45㎜となります。また、その位置に被写体を置いた場合、対物レンズの後ろは平行光線となります。その位置で使うことを想定して収差の補正などを設計しているため、結像レンズの役割を担うカメラレンズは必ず無限遠のピント位置で使用します。
逆に、カメラレンズを無限遠に固定した状態で、ピントが合った1次像が得られたら、対物レンズから正しい位置に被写体があるということです。カメラを細かく前後してピントが合ったら撮影します。
上記の式から、結像レンズの焦点距離によって1次像の倍率が変わることがわかります。設計上の180㎜の焦点距離であれば4倍となりますが、70㎜レンズを使うと1.6倍、300㎜を使うと約6.7倍となります。もっとも、180mm以下ではイメージサークルが写ってしまうので、低倍率で広範囲が写るわけではありません。
フォーマットとの兼ね合いもあるので、使える組み合わせを探ってみます。
実写テスト
テスト撮影ではあっけなく撮れました。ただし、イメージサークルや倍率が理屈通りではないことが分かりました。仕事でも使えそうなので、少し時間をかけて実験してみます。
Nikon Z システム
200mm前後を包含したZマウントのレンズは持っていなかったため、FTZを介してFマウントレンズで試してみました。
Nikon 1 システム
拡大撮影ではより有利となるNikon1システムで試してみました。
52mm-RMS汎用マウント用ステップダウンリング |
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様々なフィルター径から52mmに変換するリング |
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【八仙堂】 ステップダウンリング (58→52mm) |
【八仙堂】 ステップダウンリング (62→52mm) |
【八仙堂】 ステップダウンリング (67→52mm) |
【八仙堂】 ステップダウンリング (72→52mm) |
【八仙堂】 ステップダウンリング (77→52mm) |
ステップアップリング 40.5mm→52mm |
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