昔から地図を見るのが大好きでした。日本地図、世界地図、地球儀はすぐ没頭して時を忘れて眺めてしまいます。最近はそれがGoogleマップやGoogleアースに取って代わりました。これらのサービスは地図フリークの心をくすぐり、何時間でも見ていられます。地図上で様々な国に行き、妄想を膨らませることができます。
ある日、引っ越しが多かったわが家の引っ越し遍歴をGoogleマップで順を追ってたどっていました。小さい頃から地図を見慣れているので、自分が一度でも住んだ家は瞬時にGoogleマップ上で特定できます。川崎市京町、川崎市池田町、横浜市神奈川区、サンフランシスコ(アメリカ)、ウィーン(オーストリア)と、たどったところで手が止まりました。
何と、昔ウィーンで住んでいた建物にGoogleマップの博物館のピンが立っていたのです。
Villa Beer(ベーア邸)
ウィーン13区ヴェンツガッセ12番地。13区はウィーンの中心から南西に位置している、いわゆる高級住宅地です。すぐ近くにハプスブルク家が住んでいたシェーンブルーン宮殿があります。
住んでいた家は、Villa Beerという名前とともに、水色で神殿にMマークのピンが立っていました。50年近く前に住んでいた家が博物館になっていたのです。驚きました。住んでいる時はVilla Beerという名前も、設計者も全く知りませんでしたが、有名な建築家の作品だったようです。鉄筋の4階建てで、その最上階のフロアを借りて住んでいました。ヨーゼフ・フランク(1885-1967) という建築家の設計だったようです。
Josef Frank ( ヨーゼフ・フランク )
住んでいた頃は小学6年から中学生なので仕方ないとしても、その後建築学科を卒業しながら、この建築家のことはまったく知りませんでした。ただ、他のフロアの住人のパーティーに招待された折に、建物全体を見て回る機会があったのですが、1階、2階はものすごく天井が高い空間に、面白い階段がデザインされていて、ただならぬ設計であったことは今でも覚えています。
現在はVilla Beerと呼ばれているので、建てられた当初(1930年頃)はベーアさんという方のために設計した住宅だったのでしょう。それにしても一家族で住むには巨大すぎる建築なので、ベーアさんはよほどの大金持ちだったことがうかがえます。
われわれが間借りしていた4階は屋根裏部屋的な存在で、それほど凝った作りではありませんでしたが、エントランスが螺旋階段で、空間の真ん中に下から出てくるような面白いアプローチの仕方だったのを覚えています。
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Josef Frank – Writings Vol 1 & 2 ハードカバー |
当時3階に住んでいたBojankin一家の一人息子Tano Boyankin氏が記したフランク・ヨーゼフの貴重な資料です。 |
当時の住人
1972年から1975年の間、Villa Beerには自分たちを入れて4家族が住んでいました。われわれが借りた4階のすぐ下はボヤンキン(Bojankin)という名字の大家さんの家族でしたが、1、2階は左右に分けてメゾネットのような形式で別の家族が住んでいました。
1階の住人のお名前は失念してしまったので、左さんと右さんと呼ぶことにしましょう。この建物は1、2階がポイントで、おそらく家賃も相当お高かったのだと思います。もしくは、左さんがオーナーだったのかもしれません。いずれにしても左側は何をしているのかわからない資産家が住んでいました。車を何台も保有し、その中の1台がなんとフェラーリの最高傑作、真っ赤なディーノです。それがいつも家の前に雨ざらしで路上駐車してありました。
左さんの家族には、大学生くらいの大変美しいお嬢さんがいました。気さくな人で私たち家族によく話しかけてくれました。一度遊びにおいでよ、と言われ、お茶を飲みに行ったことがありましたが、通された彼女の部屋がベーア邸でよく写真が使われているあの丸窓がある部屋でした。子供ながら「おもしろい窓だな」と思った記憶があります。
右さんは名前は忘れてしまいましたが、職業は覚えています。ボールペンの老舗BICの社長と言っていました。家の前の路上には、今度はランボルギーニの最高傑作、真っ白なミウラがいつも止めてあり、その社長さんの持ち物でした。ですから、いつも家の前の路上には、左さんのフェラーリ・ディーノと右さんのランボルギーニ・ミウラが前後に並んで常時路上駐車されているという、普通では考えられない光景が展開されていました。学校の行き帰りにほぼ毎日のように見ていたので、目に焼き付いています。
土日の朝は、いつも「ボボボボボボ」という低音で目が覚めました。ランボルギーニ・ミウラの暖機運転の音です。ウィーンの家はすべて2重窓なのですが、それでも4階の窓がビリビリ振動するほどです。この社長さんも気さくな方で、車好きだった私にミウラの細部を色々と見せてくれました。空気取入口のフィンの1枚がドアノブになっていることに感銘を受けた覚えがあります。「今度乗せてあげるよ」と言われていたのですが、それが実現する前に私達が日本に帰らなくてはならなくなったので、実現できませんでした。ウィーンの冬は寒いので、いつも30分くらい暖機運転をしていました。
何か月か毎にこのミウラはしばらく消えることがありました。社長に車はどうしたんだと聞くと、いつも「壊れた」とか「修理に出している」という返事でした。12気筒もあるので、いつも何気筒か動いてないとぼやいていました。ずいぶんとメンテナンスが大変だったようです。昔は電子制御も何もありませんので、あの手のデリケートな車は、外気温に応じてガソリンと空気のミクスチャーを調整したり、アイドリング回転数の調整などをしないとまともに走ってくれないようです。本当に車好きの車ですね。
だいぶ話が横道にそれてしまいましたが、当時のVilla Beerにはそんな住人が住んでいました。特にこれと言った娯楽がなかったので、そんな近隣との会話や見たものが今でも大変印象に残っています。今は空き家のようなので、その頃の住人は皆どこかに引っ越されたのでしょう。古き良き思い出です。
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Architecture in Austria in the 20th & 21st Centuries |
オーストリアの近代建築の本です。 |
影響
そんな有名建築家が設計した家に住んだからか、家の前の路上にいつもフェラーリとランボルギーニが止まっていたからなのか、形とか空間に興味を持つようになり、日本に帰って公立の中高を経て大学は建築学科へ進学することになります。自分でも気づいていませんが、今思うとVilla Beerで見聞きしたことが、何らかの形で影響を与えていたように思います。特に1階、2階をぶち抜いた吹き抜けの空間にあった美しい曲線の階段は、幼心を大いに刺激したことは確かです。ヨーロッパを旅すると、観るものは建築物が主体です。Villa Beerも含め、教会や宮殿など、歴史的建造物が観光スポットなのです。建築が面白いと思ったのはそんな影響が大きかったのでしょう。もちろん、毎日眺めていたフェラーリ・ディーノ、ランボルギーニ・ミウラの美しいフォルムにも刺激を受けたことは言うまでもありません。
場所
ウィーンに旅行する方は、必ずシェーンブルーン宮殿を訪問すると思います。Villa Beerはそこから歩いて行ける距離です。住んでいた頃は、いつも歩いてシェーンブルーン宮殿の庭に遊びに行っていました。当時は遊び場もなく、子供が楽しめる街ではないので、なんてつまらない街なんだと思っていましたが、今考えると、シェーンブルーン宮殿のすぐ近くで、有名建築家が設計した家に住んでいた、などと言うことは、本来ならば信じられないような喜ぶべき事実です。もっと満喫すればよかったと後悔していますが、小学生の頃は何も分かっていませんでした。今になって、無性に行きたい街です。
旅行でシェーンブルーン宮殿を訪れた際は、ぜひ少しだけ足を伸ばして、Villa Beerも訪ねてみてください。空間の認識が変わるかもしれません。
ただ、ぶらっと行って入れるのかどうかはわかりません。
こんなものを発見しました。解説付きのツアーがあるようです。
Guided Tours of Villa Beer
ご興味がある方は問い合わせてみてください。
追記1
ベーア邸について調べていたら、面白い事実がわかってきました。ベーアさんの時代から財政難で部分的に貸していたようで、1938年頃まで有名な女優さんや俳優さん、著名な音楽家の方々が住んでいたようです。自分はあまり詳しくないのですが、ヨーゼフ・タウバー(Josef Tauber)さん、ヤン・キープラ(Jan Kiepura)さん、マルタ・エゲルト(Marta Eggerth)さん、マルセル・プラヴィ(Marcel Prawy)さんなどが住んでいた記録があります[Hammer, I. B. 2020]。
Hammer, I.B. White, everything white? Josef Frank’s Villa Beer (1930) in Vienna, and its materiality in the context of the discourse on ‘white cubes’. Built Heritage4, 12 (2020). https://doi.org/10.1186/s43238-020-00011-9
ネットで調べたら、マルタ・エゲルトさんは美しい女優さんです。同じ家に住んでいたと思うと感慨深いものがあります。
追記2:ベーアさん
元の建築主のベーアさんについても調べていくと、だんだんと分かってきました。
建築主は、ユリウス・ベーア( Julius Beer)さんで、婦人はマーガレット・ベーア(Margarete Beer)さんです。二人ともユダヤ人です。ユリウスと父のシグムンド(Sigmund)、兄弟のロベルト(Robert)は1904年創業の Berson Kautschuk GmbH というゴム会社を営んでいました。
マーガレット・ベーアさんは元ピアニストだったようです。
当時は金回りが良かったのでしょう。ヨーゼフ・フランクが設計する鉄筋4階建ての豪邸、ベーア邸は1929年に着工し、1930年に完成しました。
広大なリビングに面して開放的な中二階があり、そこは音楽ラウンジとしての役割を担っていました。この音楽ラウンジを中心としてベーア邸は設計されています。マーガレットさんの音楽への情熱がうかがえます。当時の著名な演奏家や音楽家が集まる場所となっていたのでしょう。音楽の都と呼ばれるウィーンですから、音楽を演奏するホールを中心に建物の設計が行われるのは当然のことなのかもしれません。
しかし、1930年からベーア邸は借金の抵当に入れられてしまいます。財政難により、1932年から内部はいくつかのパートに区切られ、賃貸のアパートとして貸し出されることになります。マルタ・エゲルトさんら俳優や音楽家の方々はその頃に借りていたのでしょう。マルタ・エゲルトさんたちもユダヤ系だったため、1938年にはアメリカに亡命します。
そして1938年にベーア邸はついに保険会社の手に渡ってしまいます。ベーア家も1940年にはヒットラーに追われてアメリカに亡命します。
ヒットラーのせいで、オーストリアはいくつもの大きな才能を失うことになります。
1941年には 繊維会社を起業した ヘルマン(ハリー)・ペシマン( Hermann ‘Harry’ Pöschmann )さんがベーア邸を購入します。おそらく、この人が上の「左さん」です。
1946年から1952年の間、ベーア邸はイギリス軍のシークレットサービスに貸し出された記録もあります。
ベーア邸は最大で5分割されて貸し出された経緯があります。現在は 私立財団 が所有しており、近い将来に国が買い上げ、博物館にする計画が進められているそうです。
歴史的建造物としてこれからも残ってくれることを祈っております。
追記3
母(90歳ですがボケていません)に確認したら、「そうそう、ペシマン、ペシマン」と言っていました。左さんは確実に ペシマン(Pöschmann )さんです。
追記4(2021年6月)
私の書き込みを見て、ある人物から返信の書き込みがありました。
Dear Akira Yamanouchi,
due to a post as a local guide I have seen, that you have lived in the Villa Beer in Vienna during the 70ties!
It might be of interest for you, that since March I am the new owner of this wonderful house and I am planning to finally open it to the public. The Villa Beer will be managed as a “house-museum“ where visitors will be able to experience the architectural and living concept of Josef Frank and Oskar Wlach directly.
If you have memories or even pictures concerning the time you spent in this special house, we would be very interested, if you would like to share these with us.
With best regards from Vienna, Austria
何と2021年の3月にベーア邸を購入したという人物です。ベーア邸の新オーナーです。本格的にヨーゼフ・フランクの住居博物館として公開する計画を立てているようです。楽しみです。
完成したらぜひ一度訪ねてみたいものです。
追記5:住んでいた当時の写真(1972~1975)
博物館へ向けての管理会社から、当時の写真はないかと聞かれたので、実家のアルバムから探してきました。いくつかありました。こんなものが役立つのかわかりませんが、提供させていただきました。
追記6(2022年11月1日)
どうやら本格的に保存に向けて修復工事がはじまるようです。完成したら訪ねてみたいものです。
Numerous attempts to sell the house to the City of Vienna or the Austria federal government in order to make it accessible as a museum were unsuccessful. This opened up the opportunity for the Villa Beer GmbH to acquire the house in 2021, and the company is in the process of realizing its own vision of a public museum.
From October 2022 presumably until 2025 the house will be fully closed due to an extensive restoration and renovation.
長い年月をかけてウィーン市やオーストリア政府に博物館化を提案して働きかけていましたが、失敗に終わったようです。しかし、それがVilla Beer GmbH(ベーア邸有限会社)を設立する引き金となり、博物館として公開する計画が立ち上がったのでしょう。
2022年から2025年まではリニューアル工事のため、完全に閉鎖されるようです。ということは、2025年くらいに博物館としてオープンするのでしょうか。楽しみです。
建築やデザインを学びたい人にはユニークな観光スポットとなることでしょう。完成したら行ってみたいところです。
追記7(2022年11月14日)
博物館化プロジェクト担当者からメールをいただきました。まだ検討中でどうなるか分かりませんが、普通に見学するだけの博物館ではなく、宿泊を体験できるようにするという話が出ているようです。優れた建築家が設計した「住宅」なので、一晩でも暮らしてもらわないと良さがわからないというコンセプトの元考えられているアイデアだそうです。面白い発想です。最近は日本でも博物館や水族館に泊まるというイベントがありますが、それに似たようなものでしょうか。実現したらぜひ行って一泊してみたいものです。
追記8(2022年12月12日)
「接吻」などで有名な画家、グスタフ・クリムト(Gustav Klimt, 1862年7月14日 – 1918年2月6日)さんの家もVilla Beerのすぐ近くにあったようです。そちらはすでにKlimt-Villaと呼ばれる博物館になっているようです。Googleマップで見るとVilla Beerから歩いて10分くらいの距離ですが、住んでいた当時は知らなかったので訪れていません。小学生にはまだクリムトは理解できなかったのでしょう。今思うともったいない過ごし方をしました。