日本英語

小中学校を海外で過ごし、日本に帰って驚いたことは、日本の英語教育の厳しさです。すごく頑なに真面目に取り組んでいます。それはそれですごいことだと思います。海外帰国子女なのに、日本の英語のテストはずいぶん間違えます。前置詞とか、関係代名詞などという用語はそもそも聞いたこともなかったので、授業はちんぷんかんぷんでした。何回目かの英語の授業で、自分はもう諦めました。でも、周りの生徒たちは頑張ってついて行っていました。
しかし、日本では中学3年、高校3年、大学行く人は大学で4年教育を受けて、合計10年も英語を習うのに、日本人は英語が話せません。外国人に道を聞かれてきちんと英語で答えられる人はどれくらいいるのでしょうか。これは由々しき問題だと思っています。何かが間違っているのでしょう。
あまりに厳格に文法でがんじがらめにされて、テストをされ、偏差値教育を強いられ、先生に怒られ、間違ってはいけないという感覚を10年間で埋め込まれてしまっているからではないでしょうか。
こと会話に関しては、もっといいかげんで良いはずです。こういうシチュエーションの人称は何が適切か、とか、冠詞は、とか、過去形にすべきか、過去分詞を使うのか、など、細かいことを色々と考えてしまうから委縮してしまうのでしょう。結果、道を聞かれたら手を振って逃げる日本人ができてしまったのだと思います。真面目すぎるのでしょう。
アメリカでは、日本の中学生より文法も分からず、知ってる単語も少なく、発音もムチャクチャな人がガンガン話しています。

いいかげんさも重要

あいまいなアイマイミー」で書きましたが、アメリカには英語がプアな人がたくさんいます。一人称にmeしか使わない人もいますし、冠詞や前置詞がめちゃくちゃだったり、省略されてしまっていることも多々あります。
面倒だったら全部meでも通じるし、適当に単語並べて話せば通じます。onやin、atなどで迷ったら、使わなければいいのです。下手につけるからいけないのです。See you Monday.で良いのです。I’ll meet you 10 o’clock. で良いのです。彼らもそうですから。

10年習っても英語が話せないのは、日本人の国民性からきていると思います。真面目過ぎるのです。いい加減にすることは悪だと思っているのです。英語はきちんと文型に則って、冠詞や前置詞も正確につけなければいけないという強迫観念と戦っているように見受けられます。

日本の英語教育

でも、いい加減な英語だと、日本の学校の試験や受験の英語は、残念ながら通らないでしょう。私なんか、英語は話せても、日本で英語の先生は決してできません。「この場合の前置詞は何が合っているのでしょうか」などと聞かれたら、「何でもいいんじゃない」と答えてしまいます。それでは日本の英語教師としては失格です。
日本の英語教育はそういった、私からすると重箱の隅をつつくようなことを丹念に教え込みます。
See you Monday. は×です。See you on Monday. でなければ〇をくれません。実際は、間違えて See you at Monday. とか See you in Monday. と言ってしまっても違和感あるけど通じます。 onでもinでもatでも許容範囲です。さらに、 前置詞を何もつけなくてもOKです。
もちろん、日本で習う英語は、文法的には正しいのでしょう。先人たちが論理的な体系を作り上げて、その通りやれば日本の英語のテストはできるようになるのだと思います。日本の学校の受験生は日本の英語の教育方法を踏襲すべきでしょう。しかし、この方式では、いつまで経っても英語を話せないし、英語嫌いの生徒を量産しているだけのように思います。

英語嫌い

大学で卒論やレポートの手伝いをしていると、日本の英語教育の問題点を感じることが多々あります。今はネットの時代ですから、「これを自分で調べなさい」と言うとすぐにPCやスマホで検索しますが、日本語のページしか見ません。新しいことや学術的なことなどは、日本語ページよりも英語ページの方が遥かに多くヒットしますが、開いて見て英語だったら自動的にパスです。読もうともしません。どうも英語アレルギーの人が多いように感じます。英語論文なんかまず読んでくれません。たくさんの情報とヒントが隠されているのに、英語で書かれているというだけで、無条件でパスです。これは問題だと感じました。
これは学生たちが悪いのではなく、このように育ててしまった日本の英語教育に問題があるのではないかと感じています。小説などは凝った表現をしていることがありますから、なかなか読めないのは分かりますが、論文は基本的に素直な表現で書かれていますから、普通より読みやすいはずです。専門用語などで難しい単語はありますが、文法的には中学生の文法で問題ないはずです。しかし、学生には拒絶されます。読もうともしないところを見ると、おそらく、英語恐怖症になっているのでしょう。英語の文が見えた瞬間に閉じられてしまうのです。

嫌いだけど好き

このように、学校の科目として英語恐怖症に陥っている日本人は多いようですが、それにも関わらず、一方でアメリカにあこがれたり、英語がカッコイイと思っている人は多いようです。外国の方が漢字にあこがれるのと同様、日本人はアルファベットで書かれた文字にあこがれを持つ人が多いようです。Tシャツや看板、宣伝など、ほとんどが英語です。そんなに英語が嫌いなのに、何で英語にあこがれるのでしょうか。不思議です。

何かポスターを作ったり、チラシを作ったりするとき、必ずと言ってよいほど英語のタイトルを付けたがります。学生に限らず、企業が作る商品のネーミングもほとんどが外来語です。これも不思議な現象です。何かカッコ良いイメージを持っているようです。

いいけど間違わないで欲しい

英語にあこがれるのは構いませんが、英語のタイトルや標語を作るときに間違えないで欲しいと思います。こんなに厳密に英語教育をみっちりしてきている割に、間違っていることが多いのです。スペルミスや前置詞が間違っているくらいは大したことありませんが、逆の意味になるような英語を堂々と使っていることがあります。それは場合によっては危険ですし、教育上もよろしくありません。

アイドリングストップ運動

これは英語圏の人が見ると、「みんなでアイドリングしながら停車しよう」という運動だと勘違いされます。おそらく、この標語を作った人はまったく逆の意味で作ったと思うのですが、きっと英語が苦手だったのでしょう。英語の方がカッコイイから一生懸命知っている英語を並べて標語を作られたのだと思います。車メーカーですから、優秀な方々がたくさんいたはずですが、誰も気づかず、コマーシャルでもそのまま堂々と流してしまって全国に広まってしまいました。もうそれで定着してしまったので、いまさら訂正はできません。困ったものです。
和製英語だからこれでいいんだ、と言われればそれまでですが、公開されるまでに誰かが気づいて「アイドリングをやめるのならストップアイドリングでしょう」と助言していれば食い止められたかもしれません。

冒頭で、英語は単語を適当に並べれば通じると言いましたが、語順によって逆の意味になることがあるので、そこだけは注意する必要があります。

サクセス

英語にあこがれて、英語の商品名を付けるのは構いませんが、発音をまったく変えてしまうのも教育上よろしくありません。

Successという商品があるのですが、テレビのコマーシャルで、カッコよく言う「サクセス」が、「サ」に発音があるのです。本来は「セ」にあるべきです。なぜわざわざ間違った発音で言うのでしょう。日本人にとってはサに発音を置いた方が言いやすいのかもしれませんが、そのせいで全国の子供たち(大人たちも)はサクセスの発音を間違って覚えてしまっています。
これも単に商品名なので、どう読もうとメーカーの勝手だろ、と言われてしまえば元も子もありませんが、テレビの影響力は大きいので、責任重大です。
家内は英語講師をしていますが、ある時から生徒がみな「サ」に発音を置いてサクセスと言うようになり、訂正するのが大変だとうったえています。

ワイド

日本でのテニスの試合の中継を見ているとアナウンサーの言葉が大変気になります。コートの中央を狙ったサービスを「センター方向」と言うのは違和感ありませんが、サイドラインの方向を狙ったサービスを「ワイド方向」と言っています。いつの頃からかこの表現が定着してしまったようで、非常に違和感があります。センターは場所を表す言葉ですが、ワイドは幅広いという意味で、場所や方向を表す意味ではないからです。「サイド」とか「コーナー」という表現なら分かりますが、これも誰かが間違った使い方をしてしまって、それが定着してしまった和製英語なのでしょう。ちょっと滑稽に聞こえます。

リード

鉛筆の芯やシャープペンシルの芯をリードと表現しているものがあります。和製英語ではありませんが、読み方が間違っている典型です。
日本語でも鉛筆には「鉛」が入っているように昔は鉛とグラファイトを混ぜて芯を作っていました。鉛筆や黒鉛など、鉛という漢字が使われています。英語でも鉛筆の芯などは鉛を表す Lead という単語を使います。問題は、この単語は「先行する」などの Lead と同じスペルです。しかし、読み方は全く違います。カタカナ表記するとしたら、鉛は「レッド」、先行するは「リード」です。
今度はカタカナ表記の問題が浮かび上がってきます。日本人はLとRの発音の区別が難しいと昔から言われていますが、仕方ありません。日本語にはその区別がないのですから。
鉛筆の芯の事を「レッド(Lの発音のレッド)」と呼ぶと、英語圏の人には通じるようになりますが、日本人には通じなくなります。多くの人は「何で赤?」と思うことでしょう。Lead と Red の区別がつかない上、多くの人は鉛や鉛筆の芯のことを Lead(レッド)と言うことを知りません。レッドと聞いたら連想するのは色の赤なのでしょう。

シャープペンの芯を2mmくらいの太さにした筆記具をLead holder と呼びますが、カタカナ表記すると「レッドホルダー」となってしまいます。「リードホルダー」と呼んでいる会社もありますが、最初に間違って命名してしまったのでしょう。そんな混乱があったためか、現在は「芯ホルダー」という「芯」だけ日本語にした変な呼称が一般的なようです。

外国の言葉って何かカッコイ良いメージなんですね

どこの国にも外国が好きな人がいると思いますが、日本人は特に外国に対するあこがれを強く持っているように見受けられます。それだけならまだ良いのですが、自国の文化に劣等感を持っている人が多いのが残念に思います。

先日、ネットで「やかん」を買おうとしたらなかなかヒットせず、四苦八苦したあげく、「ケトル」という言葉で検索しないと出て来ないことを知りました。かわいそうに、「やかん」という言葉はもう死語なのです。

新型コロナ禍でも、外来語がたくさん登場しました。日本語で言えば簡単なことを、なぜわざわざ外来語で表現したがるのでしょう。英語嫌いなのに。
最近の会社名、商品名はほぼ外来語です。公共機関までもが〇〇センターとか〇〇オフィスという名前が付けられています。マンションの名前なんか、フランス語だか何だかわからない「ナニサマだよ」と突っ込みたくなる様な名前ばかりです。住所書くときにはずかしくないのかな、と他人事ながら心配になります。

Tシャツなどにも、英語が書かれています。意味をわかって着ているのかな、と疑問に思う書き込みのものもあります。
余談ですが、アメリカ人は漢字が好きで「痔」とか「尿」などと書いたTシャツを、カッコイイと喜んで着ているという話を聞いて、フロリダのエキゾチックアニマル獣医学会に行ったときに、獣医受けしそうな「不正咬合」とか、「尿道結石」、「毛球症」などと書いたTシャツをたくさん作って売ったのですが、会場で飛ぶように売れて完売しました。彼らにしてみれば、漢字は何かカッコイイと思うようです。何書いてあるかわからないけど、何かカッコいい、らしいのです。

大学で出席を取るときも、みな外国人かと思う名前ばかりです。
英語嫌いで英語のウェブサイトを読もうともしないのに、どうにかして英語っぽい音になるような名前を娘たちに付けたがるようです。カナがふってないとまず読めないようなお名前ばかりです。
お名前だけでなく、髪は茶髪で、カラコンで目も青い生徒もいました。外見的には、完全に日本人であることを否定しています。でも英語は嫌い。そのギャップを今後どう埋めるつもりなのでしょう。心配になります。

以上のように、日本人は、世界的にみて、相当外国かぶれしています。他の国を見ると、日本の文化にあこがれる人はいますが、自国の文化はそれなりに大事にしています。日本が好きな外国の方は多いと思いますが、姿かたちまで日本人のように改造する人は見たことがありませんし、日本人的な音の名前を子供につける例もないでしょう。
日本人だけが外国に強いあこがれを持ち、自国の文化をないがしろにしているように見受けられます。

もう少し日本人であることや日本の文化を愛して欲しいな、と、思う今日この頃です。
自分はこの国とこの文化が最高だと思っていますし、日本人であることを誇りに思っています。

著者
Yama

大学卒業後しばらくは建築設計に従事。その後人工知能の研究所で知的CADシステムやエキスパートシステムを開発。15年ほどプログラマをしていましたが、管理職になるのが嫌で退職。現在は某大学の非常勤講師(情報学)、動物医療系および野鳥写真家、ウェブプログラマ、出版業などをしながら細々と暮らしています。

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